昭和初期に建設された大阪初の鉄筋コンクリート造3階建ての市営アパートで、浴室こそ無いものの、当時珍しい水洗トイレを備え羨望の的だったと言います。全体の住戸位置は中央に南北軸の2棟を挿入した“ロの字型”プランで、中庭の樹木が階段室低層の建物と相俟ってシットリとした空気を漂わせています。そして何よりも、銘々各住戸が自前でベランダや庇上部に増築した「出し家」の光景が実に見事・圧巻なのです。今は無き香港・九龍城も如くありなんといった迫力、コルビュジェのぺサックの住宅や東京・同潤会のアパート群も真っ青といった趣で、大阪人の居住意欲に改めて度肝を抜かれます。 軍艦アパート(下寺住宅)は西は電気屋街の日本橋、東は寺が密集し寺町を形成している松屋町筋、そして南は新世界・飛田・釜ヶ崎という、大阪の最も深そうな場所に存在している。建物は三階建てで、8棟からなり、総戸数は264。 軍艦アパート2001によると昔