とても教えられる。ただ、蘭学者が書記言語として用いた漢文を、漢文は漢文、すべて一つのものとして、語彙と表現の難易だけを考えるのはどうかという気もする。漢文にも文体の種類がある。どちらかと言えば副次的な話題だが。宇田川玄随が『蘭学階梯跋』で書いたのは深文言ではないか。厳復はハクスリーの Evolution and Ethics を漢語に訳すにあたり白話文でも浅文言でもなく、深文言を採用した。そのほうが訳しやすかったと言うのだが、先秦、しかも要は春秋戦国時代の語彙・表現・文体である深文言は、これらのほかの発想・思考様式・世界観の点からも、白話や浅文言と比べるとき、かえって近代西洋に近く、たしかに訳しやすかったということがあるかもしれない。 (大阪大学出版会 2010年10月)