寄稿:プラユキ・ナラテボー・ネルケ無方,石飛道子,藤本晃,師茂樹,中村圭志,ティク・ナット・ハン,アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ×本多弘之,藤本晃 特集 言語と仏教 仏教は、約二六〇〇年前にゴータマ・ブッダが悟りをひらいたことによって始まった。そして、仏道を学ぶ者なら誰しも、その悟りを目指して道を歩む。 しかし、ブッダが悟りをひらいたという「体験」そのものは、私たちもまたブッダと同様に悟りをひらくまで共有することはできない。にもかかわらず悟りを目指し努力をするためには、自らがまだその「悟り」を体験してはいないが、それが目指されるべき素晴らしいものであると理解できる必要がある。 だが、先にも述べたようにブッダの悟りの体験を(私たちがブッダ同様に悟りをひらくまでは)共有できない以上、その体験は言葉によって伝えられるしかない。そこには当然、体験そのものとの間にが生じ、多くの解釈が生まれ