太平洋戦争終戦後、深い傷を負った日本で鮮烈な作品を生んだ二人の表現者が初めて出会います。一人は生前一切の作品発表をせず、没後40年を経てその才能が見出された関谷富貴。もう一人は人間性の深淵を厳しく見つめ、孤高の画境を開いた小山田二郎です。共に栃木県北地方にゆかりのある二人ですが、生前はお互いを知ることはなかったでしょう。しかし、二人の作品は深いところで互いに共鳴しあうかのような性格を持っています。 関谷富貴(せきや ふき)は1903(明治36)年、那須生まれ。画家の関谷陽と結婚し、世田谷の松原で暮らしました。その作品は周囲のわずかな人々に知られるのみで、才能に気づいた知人の画家が発表を勧めても「私の仕事は夫を世に出すことですから」と断っていたといいます。1969(昭和44)年に没した後、作品は遺族が保存し、当館の調査によってその存在が明らかになりました。2011(平成23)年に当館の企画展