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2017年12月3日のブックマーク (2件)

  • 栃木県立美術館

    太平洋戦争終戦後、深い傷を負った日で鮮烈な作品を生んだ二人の表現者が初めて出会います。一人は生前一切の作品発表をせず、没後40年を経てその才能が見出された関谷富貴。もう一人は人間性の深淵を厳しく見つめ、孤高の画境を開いた小山田二郎です。共に栃木県北地方にゆかりのある二人ですが、生前はお互いを知ることはなかったでしょう。しかし、二人の作品は深いところで互いに共鳴しあうかのような性格を持っています。 関谷富貴(せきや ふき)は1903(明治36)年、那須生まれ。画家の関谷陽と結婚し、世田谷の松原で暮らしました。その作品は周囲のわずかな人々に知られるのみで、才能に気づいた知人の画家が発表を勧めても「私の仕事は夫を世に出すことですから」と断っていたといいます。1969(昭和44)年に没した後、作品は遺族が保存し、当館の調査によってその存在が明らかになりました。2011(平成23)年に当館の企画展

    栃木県立美術館
    y-mat2006
    y-mat2006 2017/12/03
    見てみたいが、遠いし時間もないので、機会はないのだろうなあ。
  • 日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと(藤田 祥平) @gendai_biz

    中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと 勝手に「終わり」とか言ってんじゃねえ 深センで常識をブチ壊された 私はバブル崩壊の暗雲立ちこめる1991年に生まれた、失われた世代の寵児である。年齢は26歳。両親は大阪府のベッドタウンでそれなりに大きな中古車販売店を営んでいて、子供のころは金持ちだったが、いまは零落した。 東日大震災の年に母が急逝したのだが、そのころから父は折りに触れて金がないとこぼすようになった。家業を継ぐほうがいいのかと相談すると、「この仕事にはもう未来がないからやめておけ」と父は言った。 それで文章の道に進んだ。こちらもそんなに豊かな未来があるわけではないが、どうせなら好きなことをやるほうがいい。 そうして1年ほどウェブ媒体で記事を書き続けた。専攻はビデオゲーム小説だが、注文があればなんでも受ける。 その甲斐あってか、とあるメディアから声がかかり、

    日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと(藤田 祥平) @gendai_biz
    y-mat2006
    y-mat2006 2017/12/03
    おじさんと言うかおじいさんの中には、焼け跡闇市からガラガラポンで再出発して大逆転と言う「成功体験」の持ち主がおられるので、今の状況は本望だったりするのでは?