日本のゲーム史はインベーダーゲームを嚆矢とする。インベーダーゲームがゲームセンターから消えて10年ぐらい経ったのちも、中学校の校則には「インベーダーゲーム店への入店を禁ずる」とか書かれていたケースも少なくはない。それほどインベーダーゲームの影響は絶大だった。 「インベーダーゲーム」とはタイトーが1978年に出した「スペースインベーダー」とこの類似ゲームおよびクローン(模倣品)に対する総称である。タイトーがスペースインベーダーを発表すると同時に一大ムーブメントが巻き起こり、各社一斉にシューティングゲームを作りはじめた。 例えばナムコ(現ナムコバンダイ)は翌年(1979年)にギャラクシアンを発表し、その2年後(1981年)にギャラガ、1984年にギャプラスを発表している。 このころの著名な作品のROMを吸出し競合他社がリバースアセンブルして研究するのは普通であった。 えー、要出典? うーん。そ