ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
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2006年04月24日01:00 カテゴリArt はてなに入りたくても入れないみなさんへ#0 名文なだけに蛇足はしたくないなと思いつつ、しかし感動と救いのなさとのギャップが激しいのでそれを埋め合わせようという試み。1 entryでは足りないと思うのではじめから通し番号付き。 jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ アウトプットを出す 新しい技術を習得したり、時間を掛けて作り上げた結果は、何かのアウトプットとして出さなければほとんど意味がありません。知識や結果を自分の中に残すだけで終わるのは、それを活かしてサービスを作りたくさんの人が使えるようにする事に比べると驚くほどちっぽけな仕事です。 実は上記の意見は、普遍的に聞こえながらも極めて限定的です。アウトプットを人様に見せられる仕事だけが世の中の仕事ではないのですから。 はてながやっている仕事は、いわば「誰もが見ている」仕事で
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/comment?date=20060206#c の続き 中学生の時だったか、社会福祉の考え方を聞いたときに考えたのは、日本で能力のないひとが福祉によって安定した生活を送れて、アフリカで能力のあるひとが飢えていたとしたら、それは公正なのだろうか、という疑問だった。国民福祉は、いずれ国際福祉となるのだろうか、或いはなるべきであろうか、というときに、自分は人々の間に能力の格差があって、能力に応じて成果を上げることができ、能力に応じて報いられるべきであろうという素朴なメリトクラシーへの信仰があったように感じる。 当時ぼくは勉強が大嫌いで、学歴社会に対して非常に強い反感を持っていたけれども、その根底にはいわゆる受験勉強が、本来の社会で成果を上げる能力とは別の、服従を強いるような能力測定であって、社会は学歴などという一時点での評価ではなく
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