http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070905/p1 他人に何かを言及すれば、そこには抑圧可能性が含まれる。それは不可避で、コミュニケーションのある限り、他人への言及がある限り永遠に続く出来事だということをここで確認しておこう。 「不特定多数の人に関して」「一般論として」という前置きがあろうが、特定個人を狙い撃ちするような言及であろうが、コミュニケーションの発信者と受信者がいて、且つ受信者が「ちょっと嫌な感じを受けた」「抑圧されたと感じた」局面があったとすれば、それは発信者による抑圧、と呼称することは確かに可能だし、このような前提にたって『抑圧』という語彙は運用されている。 しかし、この抑圧、というものに対して過敏になった時、おおよそ人間間のコミュニケーションというものはまともに成立しないような気がするのだが、如何? 極端な話、コミュニケーションの発信者