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2007年10月10日のブックマーク (2件)

  • 私は、あなたは、他人を抑圧せずにはいられない。 - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070905/p1 他人に何かを言及すれば、そこには抑圧可能性が含まれる。それは不可避で、コミュニケーションのある限り、他人への言及がある限り永遠に続く出来事だということをここで確認しておこう。 「不特定多数の人に関して」「一般論として」という前置きがあろうが、特定個人を狙い撃ちするような言及であろうが、コミュニケーションの発信者と受信者がいて、且つ受信者が「ちょっと嫌な感じを受けた」「抑圧されたと感じた」局面があったとすれば、それは発信者による抑圧、と呼称することは確かに可能だし、このような前提にたって『抑圧』という語彙は運用されている。 しかし、この抑圧、というものに対して過敏になった時、おおよそ人間間のコミュニケーションというものはまともに成立しないような気がするのだが、如何? 極端な話、コミュニケーションの発信者

    私は、あなたは、他人を抑圧せずにはいられない。 - シロクマの屑籠
  • 2007-09-07

    を読んでてみつけた趣深かったフレーズを抜粋して保存。 当地(ニューヨーク)では驚くべき数の人々が、ひとりで考え、ひとりで歌い、街頭でひとりでべ、独り言をいっている。しかしながら彼らは、お互いに一緒になりはしない。それどころか、彼らはお互いに逃げあっているのであり、彼らの類似ははっきりとしていない。 しかしある種の孤独は他に類をみないものである。公衆の面前で、掘ぎわで、自動車のボンネットの上で、鉄柵に沿ってひとり事の用意をする人間の孤独。こうしたことはここでは至るところで見受けられるが、それはこの上なく痛ましい、貧困よりも悲惨な光景であり、公衆の面前でひとりべている人間は物乞いをする人間よりも悲惨である。人間あるいは動物の掟にこれほど反したことはない。動物は、物を分かちあったり、あるいは奪い合ったりすることを常に名誉としているからである。ひとりでべている者は死んでいる(だが、酒を

    2007-09-07