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2011年3月31日のブックマーク (3件)

  • プルトニウムはどこまで危険か

    見えない恐怖 福島原発で怖いのはプルトニウムではない(3月27日の反原発デモ、東京) Toru Hanai-Reuters 日政府は3月29日、福島第一原子力発電所内の土壌でプルトニウムが検出されたと発表した。原子炉内で幾重にも封じ込められていた燃料棒が部分的に溶け出したとみられる。 東京電力は、検出されたプルトニウムは微量で、健康への影響はないと主張している。だが地震の発生以来、たびたび危機を過少評価してきた同社の言い分に、国民が懐疑的になるのは当然だ。ごく微量だとしても、プルトニウムは極めて危険な物質なのでは? 確かにそうだ。ただし、福島原発がかかえる数々の問題の中では、プルトニウム検出はさほど深刻な話ではない。正確な流出量はわからないが、少なくとも原発で復旧作業に当たっている人々を除けば、プルトニウムが深刻な健康被害を及ぼす可能性は低そうだ。 国際原子力機関(IAEA)によれば、今

    y_terai
    y_terai 2011/03/31
  • 『日本の原子力施設全データ』(北村行孝・三島勇著 講談社ブルーバックス2001年刊)一部公開のお知らせ

    これが「ポッキー」ではなくて「1」に見えてしまったら、相当の数論好きかも…「1だけが並ぶ数」の深すぎる世界

    『日本の原子力施設全データ』(北村行孝・三島勇著 講談社ブルーバックス2001年刊)一部公開のお知らせ
  • 途中で批評することと信者およびアンチの存在との関連について : OTAPHYSICABLOG

    2011年03月30日22:47 途中で批評することと信者およびアンチの存在との関連について カテゴリよしなしごと Comment(4)Trackback(0) 古式ゆかしい推理小説では、探偵が関係者全員を一堂に集めて謎解きをする場面がたいていあるのだが、そこでのお決まりの台詞に以下の二つのものがある。「そうです、事件の発端ははるか以前のあのときにまで遡るのです」、そして「いや、犯人の真の目的は別のところにあります、事件はまだ終わっていないのです」、これらである。その事件がどこで始まってどこで終わるのかを正しく見て取らなければ、事件の真相などわかるはずもない、というわけだ。 さて、芸術作品というものは、一部の例外を除くと、その作品がどこで始まってどこで終わるのかがはっきりしている場合が多い。絵画、音楽、詩、映画などを思い浮かべられたい。そして、範囲がはっきりしているからこそ、その作品を評価

    途中で批評することと信者およびアンチの存在との関連について : OTAPHYSICABLOG