マイクロソフトは6月10日、米マイクロソフトの副社長で、同社日本法人の執行役最高技術責任者である古川享氏(写真)が、6月末で退任すると発表した(解説記事)。 古川氏は、1954年生まれの50歳。1986年にマイクロソフト日本法人を設立し、初代社長に就任した。同氏の退任で、日本法人設立に携わった主要なメンバーは同社から姿を消すことになる。マイクロソフトによれば、退任の記者会見を開く予定はないという。 古川氏は、マイクロソフト日本法人の初代社長を1986年から1991年まで務め、同年、会長に就任。2000年には米マイクロソフトの副社長に就任し、2004年から現職。日本法人の最高技術責任者として、同社初の米国人社長であるマイケル・ローディング社長をサポートした。また、近年は、日米をつないでマイクロソフトの戦略を語れるスポークスマン的な存在として活躍。デジタルメディアの普及・標準化活動など、パソコ
マイクロソフト日本法人を設立し、初代社長を務めた古川享氏が、6月末付けで同社を退社することになった(速報参照)。古川氏の退任には2つの意味がある。 1つは、パソコンの世界で、日本市場が“独自市場”ではなくなったこと。かつて日本は、欧米と異なるダブルバイト(2バイト)の日本語対応が必要なことや、一太郎など国産ソフトが圧倒的なシェアを誇っていたことなどから、世界的に見て特異な市場だと思われていた。古川氏がマイクロソフト日本法人を設立し、米本社からは見えにくい独自市場との架け橋になることで、創世記のパソコン業界を引っ張っていったのは、まさにその頃のことである。 しかし、例えばWindowsなどOS自体がダブルバイトに対応するようになり、一太郎のかわりにWordが普及。もはや、マイクロソフトにとっても日本は独自市場ではなく、同社の世界戦略の中に完全に組み込まれたのである。マイクロソフト日本法人に米
マイクロソフト日本法人の設立に携わり、初代社長を務めた古川享氏。約20年間、同社を拠点にして業界を牽引してきた古川氏が「なぜ今、退任を決意したのか」。心境を聞いた。 古川 享(ふるかわ すすむ) 1954年東京都生まれの50歳。1979年アスキーに入社し、1982年同社取締役。米マイクロソフトのソフトウエアの日本向けライセンス販売を手掛けた関係で、1986年アスキー退社と同時にマイクロソフト日本法人を設立。初代社長に就任した。その後1991年まで社長を務め、同年、会長に就任。2000年には米マイクロソフトの副社長に就任し、2004年から現職。日本法人の最高技術責任者として、同社初の米国人社長であるマイケル・ローディング社長をサポートしてきたほか、業界のスポークスマン的な存在として活躍している。 まず、最初に申し上げたいのは、僕が会社をやめるのにあたって、今、この時期に必要以上のことを語るの
マイクロソフトは6月10日、同社CTO(最高技術責任者)兼米Microsoft副社長の古川享氏が6月30日付で全役職を退任し、同社を退職すると発表した。 古川氏はアスキーに在席していた1986年、米Microsoftがアスキーと結んでいた独占代理店契約の終了に伴ってアスキーを退社、同時に設立されたマイクロソフト日本法人の初代社長に就任。1991年から2000年4月まで会長を務めた後、2000年5月に米国本社に移って担当副社長などを歴任。昨年2月に日本法人CTOを兼務し、活動拠点を国内に戻していた。 古川CTOは昨年4月の発表会で「定年までの残り10年を使って、PCを通じて人と人が喜びや悲しみを共有できるようにしたい」と話していた(関連記事参照)。 関連記事 古川CTO「MSにもデジタル家電のみこしを担がせて」 TVを見ていたら電話がかかってきて、一番いいシーンを見逃してしまった――そんな悲
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