ブックマーク / ray-fuyuki.air-nifty.com (2)

  • さあ、おれたち年寄りは、汚染されたものをできるだけ食うようにしよう - [間歇日記]世界Aの始末書

    おれは一九六二年生まれの四十八歳だが、だいたいおれくらいの歳の人間というのは、いま日に起こっていることを、それほど意外なことだとは思っていないはずだ。七十年代くらいには、人類は二、三十年のうちには絶対滅びると思っていたんじゃないか? それこそその、東西陣営の核戦争がなかったとしても、地震とか公害とか原発事故とかその他諸々なんらかの要因で、自分たちのいまの社会、いまの文明がぐちゃぐちゃになるはずだと思って育ってきているはずだ。 だもんだから、おれたちの世代は、いまのこの状況を、なんとなく懐かしいものだとすら思っている。自分たちが、子供のころから、さんざん想像してきたことが、ただ単に現実になっているだけなのだ。「ああ、やっぱり、キターーーーーーーー!」みたいな感じなんである。 だから、おれたちはいいんだよ、べつに。覚悟のうえのことだから。おれ個人は反原発派で、徐々に脱原発ができればいいなあと

    さあ、おれたち年寄りは、汚染されたものをできるだけ食うようにしよう - [間歇日記]世界Aの始末書
    yagitakeshi
    yagitakeshi 2011/04/11
    わしも同世代
  • 滑稽なまでの能力の欠如 - [間歇日記]世界Aの始末書

    さっきの『探偵!ナイトスクープ』、「立ち幅跳びができない」に驚愕した。なんと、いくらがんばって跳ぼうとしても5センチしか跳べない主婦が登場。5センチて……。ふつう、なにげなく前に倒れていって、ぴょんと跳んでも20センチや30センチは跳んで“しまう”と思うんだが、なんとも不思議な人だ。わざと跳べない演技をするにしたって、これほどの運動音痴のふりは難しいにちがいない。なにかこう、ロボットに、まったくプログラミングされていない動作を無理やりさせているかのような感じなのである。 その運動音痴ぶりがあまりに滑稽なので大爆笑しながら観ていたのだが、それがなにやら徐々に戯画のように見えてきて、しまいにはうすら寒い恐怖を覚えた。人間というものは、能でなにかができるということがほとんどなくなってしまっていて、適切な学習をし損ねると、信じ難いばかりに能力を欠くことがあるのだということを、まざまざと見せつけ

    滑稽なまでの能力の欠如 - [間歇日記]世界Aの始末書
    yagitakeshi
    yagitakeshi 2011/02/21
    大いに同意するとともに,ごめん,感動してしまった.
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