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@_セルビアと@_ボスニアに関するyamadarのブックマーク (2)

  • 200人がセルビア兵に犯され、虐殺された…ボスニアの人気温泉施設が「レイプ・ホテル」と呼ばれるワケ 忌まわしい現場は、いまも営業を続けている

    「まるで奴隷だった」ボスニアに残る戦争の爪痕 「セルビア兵に息子を殺され、私は性的暴行を受けて、強制労働までさせられた。そのうえ大金を払う? あり得ない」。東部トゥズラ近郊に住むセムカ・アジッチさん(64)は、声を荒らげた。 加害者を有罪に追い込むだけでは、「復讐ふくしゅう」は終わらない。精神的な苦痛を受けた代償として、慰謝料を支払ってもらう必要がある。多くの被害女性はそう考えている。だが、ボスニアでは驚くべきことが起きた。司法が、女性たちの「復讐」を阻はばんだのだ。 ボシュニャク人のセムカさんは北部の小さな村に住んでいた1993年、セルビア人兵士に自宅を襲撃された。捕虜収容所に連行され、兵士に何度もレイプされたという。当時19歳の息子は、セムカさんが連行されている間にいなくなり、遺体で見つかった。殺害された理由は今も不明だ。 収容所から解放され、自宅に戻っても、悲劇は終わらなかった。毎朝

    200人がセルビア兵に犯され、虐殺された…ボスニアの人気温泉施設が「レイプ・ホテル」と呼ばれるワケ 忌まわしい現場は、いまも営業を続けている
    yamadar
    yamadar 2022/12/15
    ユーゴ紛争は悲惨なことが沢山起きていて、現在にも暗い影を落としている。あの地を歩いた時、砲弾や銃弾でボロボロになった建物で、それでも楽しそうにビールを飲んでいた人々が忘れられない。
  • ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編

    ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ

    ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編
    yamadar
    yamadar 2016/03/04
    サラエヴォに行く直前くらいにこの動画を観た。
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