サロン・ド・パリ(フランス語: Salon de Paris)は、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが18世紀にパリで開催するようになった公式美術展覧会。その後、フランスの政体が変わりながらも1880年までアカデミーまたは政府によって開催されたので官展ともいう。1881年以降は、フランス芸術家協会が開催する民間のサロンに引き継がれた。 概要[編集] サロンの起源は、王立絵画彫刻アカデミーが、会員に作品を展示する展覧会を開いたことにあり、1737年以降ほぼ定期的に、ルーヴル宮殿のサロン・カレ(方形の間)で展覧会を開催したことから名付けられた。当時はロココ美術全盛の時代であり、フランソワ・ブーシェらが活躍していた。1745年、ロココ美術の余りに官能的な描写の氾濫に対する危惧もあって、アカデミーの改革が行われ、不適切な作品は投票で排除するというサロンの審査制度が明確化された。18世紀後半になると、
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