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【レポート大賞】と自分撮りに関するyamaigaのブックマーク (3)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 日原古道探索計画 

    新たなる目的地は定まった。 苦難の果てに辿り着いた都道204号日原鍾乳洞線の旧道最奥部から、千尋の谷を成す日原川の対岸に目撃された複数の道らしき痕跡。 旧都道突破の美酒に酔うはずだった私を一瞬で素面に戻してしまった、「伝説」を超える……道。 後日、図書館に行って「奥多摩町史」を調たところ、この道らしき影は確かに道であった。 氷川から日原へ向かう古来“日原みち”と呼ばれたそれの険しさは、町史としても特筆すべきところがあったらしく、かなり詳しい記載があったのだ。 それによれば、私がいままで辿った旧都道でさえ、日原みちとしては6代目の道であるらしい。 日原に人が住み始めたのは遅くとも室町時代に遡るそうで、以来、道中で最も険しいこの岩場…“とぼう岩”(日原の戸口という意味だそうだ)の“越え方”を中心にして、何度も道が変遷してきている。 断崖の中腹をほぼ水平に通る姿が、かなり鮮明に見えるそれは、大正

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-78>2007年度 山行がレポート大賞第3位
  • 道路レポート

    2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。 そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。 差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。 その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。 その道の場所は、右の地図の通りである。 地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。 その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。 いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。 最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。 ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。 すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。 このルートは、確かに一般の道路地図にも示され

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    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-33>2004年度 「山さ行がねが」 人気投票第1位 山行が史上、最も難しい道。
  • 道路レポート

    ご覧の大カーブの先は、いよいよ県境の長大双子トンネルの片割れ「西栗子トンネル」である。 周りの風景は山岳そのもの、しかし道路上だけは都会のような喧騒に包まれている。 竣工した昭和41年ごろは、まだ環境保護の叫びは小さかったのだろうが、生態系を分断する巨大な帯である。 遂に目前に迫ったトンネル。 坑門に覆いかぶさる巨大な送風施設は、正にこの時代の長大トンネルのシンボルである。 はっきり言って、私などは胸がときめく。 幼少の頃、家族旅行で通った仙岩トンネルの威容が、私のトンネル好きの原点かもしれないのだ。 今日では技術の進歩により、地上にこのような巨大な施設を要さないので、こういった光景は今後再生産されないものだ。 道行く私たちを見下ろす坑門。 その姿は、なんとも誇らしげではないか。 実用上存在する物なのだが、何かそれ以上のコダワリを感じてしまう。 「俺がこの山をぶち抜いているんだ!!」 とい

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-17>2003年度 「山さ行がねが」 人気投票第2位
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