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自分撮りと2007に関するyamaigaのブックマーク (4)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 栃木県道28号大子那須線 大和須不通区

    茨城県の最高峰八溝山(海抜1022m)は、阿武隈高地の南端に位し、八溝山地を経て筑波山で関東平野に没する、州北彎(わん)山系外帯の一角をなしている。 その山頂は茨城県大子(だいご)町に属するが、山頂付近には福島県棚倉町および栃木県那須町との県境線があり、いわゆる三国峰となっている。 標高はたかだか1000mに達する程度だが、周辺には他に目立って高い山がないことから360度のパノラマに優れ、古くから観光登山の対象となるとともに、山頂には八溝嶺神社が、また八合目に坂東二十一番札所の日輪寺があって、信仰の山としても著名である。 この八溝山一帯の道路は、外周をなす国道118号、294号、461号および福島・栃木県道60号と、これらの道路上から山頂へ向けて延ばされた数の県道・林道によって構成される。 右の図は主要な道路を示したものであるが、県道28号と八溝林道を利用することによって山頂付近まで車

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道17号旧道 二居峡谷  

    俺はまたしても、トンデモナイ廃道に遭遇してしまった! 上越国境とは上州(関東圏・群馬県域)と越後(北陸圏・新潟県域)とを隔てる線であり、すなわち県境である。 このエリアでは古くから「三国峠越え」と「清水峠越え」の二の道が、国家の幹道としての主導権を争って来たのであるが、現在では決着済みである。 近代において両者の優劣を決定づけたのは、上越国境を結ぶ初めての自動車道が三国峠に拓かれたことによる。 昭和34年、戦前から計画されてきた三国トンネルおよび前後13km余りの山岳道路が一級国道17号として開通し、馬さえ通れなかった三国峠が近代的自動車道へと変貌を遂げたのである。 しかし、この段階ではまだ新しい国道も十分な機能を発揮できなかった。 なぜなら、この新潟側に連なる火打、二居、芝原などの峠が未改良で、自動車による通行に大きな危険を強制したためである。 続いて上記各峠も改良が進められ、昭和40

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-95>2007年度 山行がレポート大賞第8位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 日原古道探索計画 

    新たなる目的地は定まった。 苦難の果てに辿り着いた都道204号日原鍾乳洞線の旧道最奥部から、千尋の谷を成す日原川の対岸に目撃された複数の道らしき痕跡。 旧都道突破の美酒に酔うはずだった私を一瞬で素面に戻してしまった、「伝説」を超える……道。 後日、図書館に行って「奥多摩町史」を調たところ、この道らしき影は確かに道であった。 氷川から日原へ向かう古来“日原みち”と呼ばれたそれの険しさは、町史としても特筆すべきところがあったらしく、かなり詳しい記載があったのだ。 それによれば、私がいままで辿った旧都道でさえ、日原みちとしては6代目の道であるらしい。 日原に人が住み始めたのは遅くとも室町時代に遡るそうで、以来、道中で最も険しいこの岩場…“とぼう岩”(日原の戸口という意味だそうだ)の“越え方”を中心にして、何度も道が変遷してきている。 断崖の中腹をほぼ水平に通る姿が、かなり鮮明に見えるそれは、大正

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    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-78>2007年度 山行がレポート大賞第3位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道 

    後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。 そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」 そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。 中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。 東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。 促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが… 皆 撤退していた。 だが。 私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、 「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」 そんな疑問を感じるようになっていた。 確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。 だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。 極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底ま

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-77>2007年度 山行がレポート大賞第6位
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