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2006と崩落に関するyamaigaのブックマーク (2)

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 大間線 序

    州最北の町、大間。 県都青森市から最短の陸路を使って約140km、車なら約3時間、鉄道とバスを乗り継いで行こうものなら日帰りが難しいほど。一方、津軽海峡を挟んで対岸の北海道戸井地区とは約30km、函館までも50km以内という、まさに州最果ての地に相応しい立地といえる。 かつて、この地を目指し建設が進められた鉄道があった。 その形状がよく手斧に喩えられる下北半島だが、この半島が鉄道の便に初めて浴したのは大正10年。半島の付け根にある野辺地から“持ち手”の部分の海岸沿いを伝い、半島最大の街であった田名部(たなぶ、現・むつ市)を経て、海軍の警備府が置かれていた大湊(現・むつ市)までを結ぶ、大湊線(現・JR大湊線)が開通したことに始まる。 当時、国政の主導権を掌握しつつあった軍部の意向は鉄道計画にも大きく影響を及ぼし、半島の突端である大間(大間町)に津軽海峡を防備するための要塞を建設する計画と

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 原町森林鉄道 新田川支線

    今回紹介するのは、山行がとしては初の福島県内の森林軌道となる、原町(はらまち)森林鉄道新田川(にいだがわ)支線である。 福島県はかつて南東北3県内最大の林鉄路線網を有しており、特に浜通地方と呼ばれる太平洋岸のエリアから、内陸の阿武隈高地の奥深くへと伸びる路線が多数存在した。 原町森林鉄道もまたそのような路線のひとつで、常磐線の原町(はらのまち)駅は、扇状に山地へ広がった路線網の要であった。 新田川線はその名の通り、新田川に沿って上流を目指した路線で、原町郊外の大木戸付近で線から分岐した新田川線はやがて新田川のV字峡谷に出会い、その後は終点の野手上付近まで新田川と限られた谷間のスペースを奪い合う様にして伸びていた。 昭和4年頃に竣功し、戦後の昭和34年に早々と廃止されている。 この原町駅から終点まで23kmほどもある長大な路線の中で、私が探索を試みたのは中盤の新田川渓谷と呼ばれる部分である

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