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2013と山さ行がねがに関するyamaigaのブックマーク (5)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第180回 千葉県道174号勝浦布施大原線 未成区間 

    2013/2/1 16:20 【所在地(マピオン)】 先日、何か面白いところは無いかと道路地図を眺めているときに、こんな場所を見つけた。 現場は房総半島の南東部にある御宿町の北の辺りで、いすみ市や大多喜町とも接する山間であるが、右図のように、前後が途切れた県道がポツンと一塊だけ描かれていた。 そしてこの短い区間にもちゃんと県道の記号が付されていて、それによると県道174号であるという。 千葉県道174号「勝浦布施大原線」といえば、以前に車で通ったことがあり、山間のローカル県道ではあるが、ちゃんと全通していて未開通区間があるという意識はなかった。 基的には東西方向の路線である同県道が、この孤立区間では明確な南北方向の路線として描かれているなど、奇妙な感じはある。 もしかしたら地図の間違いかも知れない(地図によっては県道の色で塗っていなかったりした)と思ったが、どちらにせよ「道」自体は描か

    yamaiga
    yamaiga 2013/04/19
    山の中にある孤立した県道区間
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第179回 いすみ工業団地の未成道 

    2013/2/1 17:04 【所在地(マピオン)】 先日、房総での探索の帰り道で薄暗くなった いすみ市内を走っていると、こんな分岐に出くわした。 色々とつっこみたい部分があるのだが、まずは左へ分かれていく道が幾らも行かずにガードレールで塞がれていること。 そして塞がれるまでのわずかな余地(交差点の一部である)が、現役のバス停として使われているということ。 さらにこのいすみ市シャトルバスのバス停名が、「工業団地入口」であることをチェックした。 この場所はいすみ市役所から国道465号と広域農道を走り継いで14kmほどの山間部で、鉄道の駅も遠く、はっきり言って広域農道以外に幹線道路はない。 いや、そもそも工業団地を名乗るものが「農道」と名付けられた道だけからしかアクセス出来ないというのは、いかにも不釣り合いというか、歪な開発を感じさせた。 そしてその歪さの答えが… ← この眺めと言うことらし

    yamaiga
    yamaiga 2013/04/19
    空虚。 挫折した工業団地への道
  • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道211号若郷新島港線

    東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。 そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。 具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。 そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。 東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日一の広がりを持った都道府県といえる。 しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。 これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。 ともかく、海の上にも東

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 真倉の切割

    今回紹介したいのは、房総半島の南端を走る国道410号が、洲崎(すのさき)へと連なるその中央分水嶺を越える地点に穿った、「真倉(さなぐら)の切割」と呼ばれている道路である。 東京都心から南南東へ約90km、関東地方では最も温暖な地域にあるこの地域は、今日でこそ交通の便も十分に開け、年中多くの観光客が訪れているが、内房と外房の結節点である館山より南は、交通の面でも長らく「半島の中の半島」と呼べる不利な条件に置かれていたのであって、この「真倉の切割」は、明治期に車馬の交通を辺境へともたらした、画期的な交通施設であった。 今日では切割がある分水嶺の北も南も館山市の一部であるが、昭和29年より前は歴とした市村境だったのであり、南側が安房郡神戸(かんべ)村、北側が(旧)館山市であった。 現在は大字上真倉と大字藤原の境目となっている。 これから現地の風景を紹介するが、天与の地形に人がその英知と胆力をもっ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 奥多摩古道 (氷川~除ヶ野)

    東京都の奥座敷、奥多摩町の中心が氷川(ひかわ)である。 多摩川と日原(にっぱら)川の合流地点に開けたさほど広大でもない緩斜面に町役場、小学校、JR青梅線の終着駅である奥多摩駅、国道411号などの都市機能が集中的に立地している。 そして氷川から日原川に沿って1kmほど北上した山腹に、除ヶ野(よげの)集落がある。 取り立てて何がある場所でもないが、古くから人の住う土地であったことは、この意味ありげな地名にも現れている所だ。 現在、除ヶ野から氷川へは、日原川に架かる北氷川橋渡って行くのが普通であるが、このルートは安寺沢林道が除ヶ野まで開通した昭和50年代から使われるようになったという。これは除ヶ野集落で聞いた話である。 そして古い地形図を見ると、除ヶ野から氷川まで順当に日原川左岸の山腹を緩やかに下って行く道が描かれている。 その表記は「破線」であり、小径の域を出ないものであったと察せられる。 そ

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