記事保存 日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。 日本で一番知られている合戦は、天下分け目の戦いとされた「関ケ原合戦」だろう。戦後は全国の3分の1を超える約630万石が没収されるという日本史上最大のリストラ劇でもあった。徳川家康率いる東軍と石田三成の西軍が関ケ原(岐阜県関ケ原町)で戦い、勝利した家康は約260年続く江戸幕府を開いた。両軍合わせて約16万人が激突したこの一戦は、天下取りを狙う家康が反対勢力を誘引して引き起こし、ほぼもくろみ通りに一気に決着を付けたとの評価が一般的だ。しかし最新の研究では、家康が望んだような展開とはかけ離れた不本意な戦いであったことが指摘されている。「関ケ原」における家康の計算と誤算を検証した。 より安全に政権奪取できる道を 徳川家康にとって関ケ原の戦いは不本意だったのか(静岡市) 「関ケ原合戦のよ