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文化に関するyamikuro1226のブックマーク (2)

  • 人を見る目 - 内田樹の研究室

    山形浩生さんが少し前にノーベル賞について、「ノーベル賞受賞者数を政策目標に使うような発想は、ぼくはゆがんでいると思う」と書いている。 「それは自分では評価できませんという無能ぶりを告白しているに等しい。だからぼくは日に必要なのは、ノーベル賞受賞者そのものより、研究や業績を王立科学アカデミー並みの見識と主張をもって評価できる人や組織の育成じゃないかと思うのだ。日でも、何かノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?(…) もちろん・・・おそらく無理だろう。日ではそんな賞はすべて地位と経歴と学閥内の力関係で決まり、下馬評は事前にだだ漏れとなり、受賞目当てのロビイングが横行し、結果としてだれも見向きもしないつまらない賞になりはてるだろう。それが日の問題なのだ。」(「論点」、毎日新聞、10月31日) 山形さんの言うとおりだと私も思う。 私たちの社会のたいへん深刻な問題の

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/11/08
    日本人は「人を見る目」を失ったという話をしていたのであった。「人を見る目」というのは、突き詰めて言えば、目の前にいる人の現実の言動を素材にして、その人の「未来」のある瞬間における言動をありありと想起す
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 日本の子ども

    ですから、子どもたちにも 「あんまり表に出てないところで ちゃんと太ってるんだよ、 ちゃんと豊かになってるんだよ」 ということに目をむかせたほうがいいんです。 ここで僕が思うことは、 コミュニケーションではなくて、 「反コミュニケーション」か、または 「非コミュニケーション」と言ったらいいのか、 そういうことなんです。 つまり、コミュニケーション以外のもので 塀をぶち壊して出口を作る以外に ないだろうなと思います。 コミュニケーションの発達は、 そもそも科学のものだから、 科学以外のところで何をしたって、 それはどうなるものでもないんです。 例えば、ここにいながらにして、 アメリカならアメリカの 職人さんたちが何をして、 どういう身体の動かし方をしているかが、 たちどころにわかる、と、 そういうことになるでしょう。 そうなってしまったあとも、まだ 「コミュニケーション、グローバル」 とか言

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/05/08
    コミュニケーションに 邪魔っけな石を置く、 自問自答のようなものを さしあたり何と名づけたら いいのかというと、 もしかしたらそれは 「芸術」という言い方で、 できるんじゃないでしょうか。
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