タグ

ブックマーク / www.1101.com (49)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson460 優しい人 志(こころざし)を持っている人は強い。 就職活動にしても、日々の職場のコミュニケーションでも、 人を吸引するし、 言葉に説得力がある。 初対面の人からも、すぐさま信頼を得る。 「志」は持とうとして持てるものではない。 とくに「志が育ちにくい」とされる日で、 はやくから志を持っている人は、どこがちがうのだろうか? この春、私の姪が、志望どおり、 地元の岡山で、社会福祉士として就職した。 ほとんど奇跡だと、叔母の私は思っている。 就職難のうえに、そもそも社会福祉士の求人がない。 姪は3月になり、大学の同級生が次々巣立っていっても、 就職先がなかった。 一般の会社などに切り替えれば、 姪に働き口がないわけではなかった。 しかし、姪には「志」があった。 「社会福祉士になれなければ、就職はしない」 と、他の仕事をあきれるほどにキッパリ、拒んだ。 彼女に第二志望などない

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/10/08
    その日、見事に「志」を伝えた学生に共通していたのは、 「優しい」ということだった。 世の中には、自分のことよりも優先して、 他者についつい心を配っている、 「優しい人間」が、ほんとうにいるものだなあ、と、
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのドラッカー

    ずっと、一人で「職人」をやってきたぼくが、 だんだん、 組織やチームで仕事をするようになってきた。 3人、4人、5人‥‥と、仲間が増えて、 「経営」を考えざるを得なくなったとき、 まわりの詳しい人が 「こうしたらいいよ」ってくれるアドバイスが、 根的なところで ドラッカーの言葉と、重なってたんです。

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/09/21
    何も驚くべきことではない。  理論は現実に従う。  われわれにできることは、  すでに起こったことを体系化することだけである
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson459 どんな人とつきあいたいですか? ――3 人を測るモノサシ 「あなたはどうやって、あなた自身を尊重しますか?」 と先週のコラムで問いかけたところ、 印象的なお便りが届いた。 <自分を測るモノサシ> 先週のコラムを読んで、 最後の問い「どうやって自分を尊重するか」から 私が気づいたことは、 私の中にはそもそも「自分を尊重する」という概念がない、 ということでした。 それは尊重していないということではなく、 「尊重する」という意識がなく生きてきた、というか。 同様に、「(社会や他人から)必要とされているか」 という問いが掲げられることもありますが、 私にはどうもその考え方も欠落しているらしく、 「必要か不必要か」を殊更に気にする気持ちというのが あまり良く分かりません。 勿論、社会的に必要とされなければ存在できない、 居場所がなくなる、ということは分かるのです。 けれど、その

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 堺雅人さんと、満腹ごはん。

    これも『天才!』に書いてあったんだけど、 スポーツ選手には4月生まれが多いんですね。 それは単純で、3月生まれの子とは 初めから1年の差があるわけで、 スポーツチームは、背がでかくて、 先に進んでる子からピックアップして 選手を作るんですよ。 で、彼らのやってる練習っていうのが、 下の子はできないんですよ。 下手したら球拾いですよね。 で、球拾いは野球がうまくならないんですよ。

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/09/08
    頭にあるものを奪っちゃったほうが 伸びられるんじゃないですかね。/だって、実際俺、弟子にはものすごくきつくて、 社員には全然厳しくないもん。
  • 書く歓び ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson445 書く歓び 人はなぜ、「書く」んだろうか? 会って話す、 目と目で通じ合う、 なにも言わずにだきしめる、 おいしいものや、音楽や、 きれいな景色で通じ合う‥‥、 コミュニケーションの方法なら、 ほかにいくらでもある。 文章なんて1行も書かなくたって、 楽しくくらしていけるのに。 私自身、編集者から書き手に転向して 丸9年になる。 「書く」ことは苦しい。 私がこれまで経験した、 ほかの仕事とは比べものにならない。 どんな仕事にも、それぞれの苦しさがある。 その苦しさを充分に承知していても、 たとえば、同じ量の記事でも、 話して、それをライターさんに まとめてもらうのと、 「自分で書く」のとは、まったく緊張感が違う。 「身を削る」のだ、書くことは。 書くものが見つからないときの 自分の存在意義までが、 しおしおとしぼんでいくような無意味感。 書こうとするものがはるか遠くにあり

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/05/28
    言葉なんかいらないと人は言う。 しかし、私は、言葉による理解がほしかったんだ、 求めていたんだ、ということが身にしみてわかった。/言葉を通してしか表せない、 抽象的なもの、緻密なもの、奥深いもの、 しかも、
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<やっと実感できそうな「消費」の重要。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 やっと実感できそうな「消費」の重要。 2009-05-18 自動車が売れないという話は、 これまで、こんなふうには、なかった。 どうしたって、日でいちばん大きな企業は トヨタなんだし、魅力のないクルマや、 品質のよくないクルマは売れなくても、 いいクルマは売れるんだ、と、 みんなが思っていた。 クルマが売れないということをニュースで知った人は、 「クルマまで‥‥」と感じたのだと思う。 これまでにも、売れなくなったといわれるものは、 いくらでもあったからだ。 でも、クルマは売れてるよね、と信じていたのだった。 クルマまで売れなくなることがある、 と知ったことで、ようやく、 実感として「考え方を変えなきゃ?」と思うようになった。 いや、「なった

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<やっと実感できそうな「消費」の重要。>
    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/05/19
    モノでもコトでも、生み方、生む方法と、 育ち方、育てる方法と、 使い方、使う方法と、 さらにいえば、捨て方、消す方法にいたるまで、 ぐるぐる循環するイメージの、 ぜんぶの場面に工夫も努力も必要なはずなのだ。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson443 気づくと一方的にしゃべっているとき 「会話をしていて、 気づくと自分だけが一方的にしゃべっている。 相手はひいてしまっている。 こんなとき、どうすればいいんでしょうか?」 先日、雑誌のコミュニケーション力の取材で そう聞かれ、 私自身がドキリとした。 「やってしまった」ばかりなのだ。 その少し前、ある人と会話をしていた。 その人が最近読んだについて話してくれたので、 ノったつもりで、 「そうそう、それにその作家、男前だしね‥‥」 みたいなことをとうとうとしゃべっていたら、 ふと、気がつくと、相手はのってナイ。 しゃべればしゃべるほど、 相手はふしぎそーな表情になり、 どんどん、とおーーーく、なっていった。 「気づくと一方的にしゃべってしまっている」 こんなとき、どうやって 再び生き生きと、 はずむ会話に戻していけばいいんだろう? そのときの自分を彷彿とさせる光景を観た

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/05/13
    ただし、そのような精神論だけでは、 「聞いているつもり」「わかったつもり」 になってしまう恐れがあるから、 要所で、相手のいわんとするところを 要約で確認しながら聞こうと思う。
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム-うちうちのものを出す。

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 うちうちのものを出す。 2009-04-20 いつものように『ダーリンコラム』を 書きはじめたのですが、 どうにも頭も手も思うように動いてくれない。 うまく書けないというだけでなく、 やわらかくも書けない。 いっそ、今週はお休みにしようかと思った。 もともとの『ダーリンコラム』というやつは、 月曜日に掲載するのが原則だったけれど、 けっこう休んでいたのだった。 ただ、お休みです、というのもしゃくだなぁ。 前に書いたものだとか、書きかけたものだとか、 おもしろそうなものがあったら、 それを貼り付けて、お茶を濁そう。 と思って、あれこれ探したのだけれど、 たまたま最初に見てしまったのが、 社内の内部資料というか、 乗組員たちの確認のためのテキスト

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム-うちうちのものを出す。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 脳の暗黒大陸。

    私は『キッパリ!』を書き上げるぐらいのころ、 すごく悩んでたんです。 それは、私のような無名の人が、 「自分を変える方法」というものを にまとめようとしているけど、 自分は変わってないし、 そんなを誰が読むんだろうって ものすごく考え込んでいました。 そのとき、「ほぼ日」で 天童荒太さんの連載をやってました。 そこで天童さんが 「まず、自分がおもしろければいいんです」 とおっしゃっていました。 「ああ、そうなんだ。それでいいんだ」 って、すごく助かったんです。

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/04/08
    人間の扱える単位はだいたい 150人だと言われてますねって、/大勢に通じたことがうれしいんじゃなくて、 「大勢に通じたよ」ということを、 150人に言えるからなのかも。
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <ばかにしないということ。>
    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/03/10
    ぼく自身のことを振り返ってみても、  なにかがうまく行ったときというのは、  じぶんのことを「ばかにしなかった」ときでした。
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<「機会」こそすべて。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 「機会」こそすべて。 2008-11-17 人間はなにを求めているかということについては、 いろいろ考えられてきたし、 いまも、いくらでもいろんな考えがあるんだろうけど、 なんか、こういうのはどうだろう? 人間は「機会」を求めている。 金が欲しいということも、 金で「機会」が増やせるということじゃないか。 生きるか死ぬかの状況で、 べるものが欲しいという場合も、 生きるという「機会」を求めているわけだよね。 べものがないと、 「死」と「生」のうちの、 「生きる」という「機会」に出合えないんだ。 若い人がよく憧れる歌手という職業についても、 たくさんの人たちの前で歌える「機会」が欲しい、 というふうにも言えるよね。 スポーツ選手になりたいの

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<「機会」こそすべて。>
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<おれは生きる、という発想。>

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 おれは生きる、という発想。 2009-02-02 いまみたいに景気がわるくなってきたり、 いろんな循環がうまくいかなくなってくると、 「どうしたらいいんだろう」ということを、 考えることも多くなる。 もともとぼくは心配性だから、 しょっちゅう「どうしたらいいんだろう」なんてことは、 考えてばかりなんだけれど、 いまみたいな状況になると、 あんまり心配性じゃなかった人も、 もともと心配性だった人も、 どっちもが「どうしたらいいんだろう」と、 考えるようになる。 心配性については、 他のこととちがって、 ぼくは大先輩だから、 ある程度は、先輩ぶったことが言える。 と言っても、あんまりたくさんは言えない。 心配のタネというのは、人によっていろいろだ

    ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<おれは生きる、という発想。>
  • 「生まれたての赤ん坊って」  ほぼ日刊イトイ新聞 - postman@1101.comから。

    「ほぼ日」には、まいにちたくさんのメールが届きます。 みんなで読んで、 「この感想はうれしいなぁ」とか、 「なるほどこういうご意見も」とか、 「このばかばかしさは素晴らしい!」なーんて、 しょっちゅう、よろこんだり、びっくりしたりしています。 「これ、乗組員だけで読んでるのはもったいないよねぇ」 というようなお便りは、 ときどきここでご紹介していきますね! こんにちは。 「ほぼ日」のです。 ちょうど1週間前の週末、 10月29日(土)30日(日)に 群馬県前橋市で「前橋BOOKFES」が開催されました。 「で元気になろう。」というこのイベントに、 エグゼクティブ・プロデューサーを務めた 糸井重里はじめ、「ほぼ日」乗組員も 運営側として参加し、 とてもたのしい2日間を過ごしました。 初めてのイベントとあって、 どうなるかわからないことも たくさんあったのですが、 とてもたくさんの方にご来場

  • 今日のダーリン

    ・「プレゼンテーションの時代が、終わるんだよ」 と、ある打ち合わせ中に、ぼくは言いました。 「プレゼンテーション」の技術だとか、 「プレゼンテーション」が大事なんだとか、 とにかく、この20年くらいは、 この言葉を中心にさまざまな会社の仕事が あったような気さえします。 ぼくは、じぶんが、これ、苦手だったので、 「ほぼ日」という組織をつくっていくときに、 徹底的にこの「プレゼンテーション」という概念を 無視してやってきました。 「うまく言えてなくても、 受け手側が前のめりになれば伝わるもんだ」 ということもあるわけです。 上役やら、同僚やらに「プレゼンテーション」するために その下ごしらえの仕事に必死になっているのが、 多くの組織で働く人たちの日常だった ‥‥ように見えたのです。 ひとつのA案を練り上げるよりも、 それとちがったB案やC案を横にくっつけたり。 A案がよく見えるような説明を考

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/01/25
    ・「プレゼンテーションの時代が、終わるんだよ」
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - テレビと落とし穴と未来と。

    これまで記録として、映像を NHKに撮ってもらったものが、 お正月に、ETV特集として、流れます。 「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~ 」 というタイトルで、 人見記念講堂で行った講演を中心に 構成されます。 放送日は、2009年1月4日(日)、 夜10時から11時29分までの89分間です。 基的にはほとんど 講演会の内容を紹介する、というものですが、 ご存知のとおり、全部は入りきりません。

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/01/05
    飯の種になって、 やりがいがあって、まぁ、 自分のやってきた得意なことも
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 吉本隆明

    日2009年1月4日(日)22:00~23:29、 吉隆明さん出演のドキュメンタリー番組 ETV特集「吉隆明 語る」(NHK教育)が 放映されます。 ごらんになった方、ぜひご感想を postman@1101.comまでお寄せください。 それでは、前回につづいて、 11月~12月にかけて行った 吉隆明プロジェクトのアンケート結果のなかから、 「印象に残った講演」の第3位をご紹介します。 生から死への道筋や、いかに生きるべきかが 見えづらくなってきた現在。 吉さんは、一遍や親鸞、フーコーや人類学者の 思想を汲み取りながら、 死から生を照らしだすことによって、 「生きること」がよりよく理解できるのではないか、 とおっしゃいます。 講演の後半を割いて、吉さんは、 アメリカの精神医学者 E.K.ロスの『死ぬ瞬間』という研究をとりあげます。 ロスの研究が示したのは、 人間が死を受け入れる過

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2009/01/04
    ロスの研究が示したのは、 人間が死を受け入れる過程には 否定 ─ 怒り ─ 取引 ─ うつ状態 ─ 受容 という共通した段階があるということでした。 吉本さんは、この「死に至る5つの段階」は、 そのまま生に当てはめるこ
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。

    自分でも思いがけないところで 自分の力が発揮できることを おもしろがるという感じなので、 簡単に挙げづらいんですが‥‥。 まぁ、でも、やっぱりチームプレイでしょうね。 いまやってないわけじゃありませんけど、 もっと、チームでしかできないことを。 チームでなにができるかという可能性と、 自分がなにができるかという可能性は、 ぜんぜん違うものなので、 チームができることを オレがジャマしないようにしたい という気持ちはありますね。 奇しくも、さっき梅田さんがおっしゃった、 「社員を雇わないことにしました」というのと 真逆の方向になりますけど。

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/11/24
    結果として、なにを成し遂げたいとかいうよりは、 そのプロセスのユニークさ。 誰も知らないような時間の流れ方とか、 そういうのを希求する気持ちというのが、 いつもありますね。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 7 10年後の自分たちに感謝されるために。

    そのとき、社員と話してるうちにね、 「10年前の自分に感謝する」って思ったんです。 つまり、10年前の自分が、先のことを考えずに 「よいしょ!」ってやってくれたおかげで いまの自分たちがあるわけですよ。 で、いま自分たちは忙しくやってるつもりでいるけど、 あのときのあの「よいしょ!」に比べたら、 ずいぶん快適な、ぬるま湯にいると思うんです。 でも、やっぱり、いまから10年後の自分にも、 同じことを言ってもらいたいじゃないですか。 「2008年の自分が先のことを考えて 用意しておいてくれたおかげで いま、こうしていられるんだよ」って、 笑いながら仲間と語り合いたいなと思ったら、 ちょうどいいスモールビジネスを 回し続けているわけにはいかないなと。 はたしてそれがストレッチするという はっきりした形になるかどうか知りませんけど、 せめて、必死でなにかをテストするようなことが、 一回、一回、必要

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 7 10年後の自分たちに感謝されるために。
    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/11/21
    ただ、世の中の企業のトップは、 全員が口では「改革!」って言ってるわけですよ。 そう言いながら、誰もコンフォートゾーンを 超えるような勝負はしようとしない。 そういうなかで、あのチャレンジを やり遂げられた
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 5 そういう目に見えない関係を、 「愛」と呼ぶこともできる。

    インターネット上では、 適切な大きさの問題さえ生まれれば、 そこに問題があるというだけで それを解決する人が現れる。 いや、この理論はいいですね。 だから、この話を聞いたとき、 どうやったら適切なサイズの問題を つぎつぎに生み出すことができるんだろうか、 って思ったんですね。 つまり、適切なサイズの問題をつぎつぎに生み出し、 それの集まった総体を意図する方向に 向かうようにデザインできる人こそが、 これからのインターネットのリーダーというか、 未来のリーダーシップなんじゃないか というような予感がしたんです。

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。 5 そういう目に見えない関係を、 「愛」と呼ぶこともできる。
    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/11/20
    インターネット上では、 適切な大きさの問題さえ生まれれば、 そこに問題があるというだけで それを解決する人が現れる。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson421 弱さの品格 「強くなれ!」 と言われても、 弱い人間、 そんなにすぐにすぐ 強くなれるものでもない。 そんなとき必要なのは、 弱いなりにも品のあるふるまい をすることではないだろうか。 弱さの品ってなんだろうか? 「人前で弱音は吐くな」「強くあれ」 と育ってきた大人からすると、 いまの若い人は、すぐに弱音もはくし、 ちょっとのことでへこむし、 いつまでもくよくよ悩むし、 ずいぶん、ひ弱だなあ、と思うかもしれない。 私も以前はそう思っていた。 そんな弱いことでどうする、と。 けれど、いま、大学で授業を持っていて、 不思議に学生の弱さがいやではない。 むしろ、弱さにひかれている自分すらいる。 品のようなものを感じるのだ。 たとえば、表現の授業で、 印象に残るスピーチをしたと、 学生たちからチーム代表に選ばれるのも、 決して主張の強い、雄弁な学生ばかりではない。 ときに、消え

    yamikuro1226
    yamikuro1226 2008/11/20
    自分が弱くて、 目の前にある現実が持ちきれなくても、 自分や人を裁かない。 直球でつらがる。