5月9 駒村圭吾『主権者を疑う』(ちくま新書) 7点 カテゴリ:政治・経済7点 安倍元首相は憲法改正について「最終的に決めるのは、主権者たる国民の皆様であります」(23p)と言いました。 このときの「主権者」とは一体何者で、いかなるときに国民は「主権者」としてたち現れるのか? そもそも「主権」とは何なのか? 現代の政治においてこの「主権」をどのように考えればよいのか? といったことを探っているのが本書です。 著者は憲法学者ですが、政治と法の対立関係を意識した上で、東浩紀や鈴木健や成田悠輔の議論なども引用しながら、法と政治の問題を探っていきます。 主権についての議論には昔からピンとこない点もあり、本書についても疑問に思う点もあるのですが、憲法学者でありながらかなり越境して政治を論じており、憲法学者からの現代政治論とも言うべき本で多くの興味深い点を持っています。 目次は以下の通り。序章 見取り
特集1◆プラトン哲学の現代的意義 ― 『ポリテイア』 (国家篇) を中心に 46 学術の動向 2011.1 特集1◆プラトン哲学の現代的意義 ― 『ポリテイア』 (国家篇) を中心に 本日の私の講演の目的は、20世紀政治によ るプラトンの政治的動員・利用とそれに対する 反論を政治思想史の立場から要約的に紹介し 分析することにある。 1960年代、プラトン論として有名であった のが、カール・ポパーの『開かれた社会とその 論敵』の第一部( 「プラトンの呪縛」 )であった。 この作品は20世紀前半の大戦争と革命を経て 新たに登場した全体主義体制(ファシズム・共 産主義体制)という史上全く新しい体制に対す る批判と「われわれの文明」の擁護を目的とし ていた。彼によれば、全体主義という20世紀 の恐るべき政治体制の源泉は西欧思想の外部 にあったのではなく、それ自身の中にあった。 ここでプラトンは全体
ソクラテスの有名な言葉「悪法もまた法なり」の出典というのは、いくらさがしてもないそうである。弟子のプラトンが書き残したという事実もない。この言葉は本当にソクラテスの言葉なのであろうか。プラトン(前427-前347)がソクラテス(前470頃-前399)に出会ったのは、ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」によればプラトン20歳、ソクラテス56歳、前407年と推定している。一説によると、プラトンの兄のアディマントスかグラウコンがソクラテスと親しかったからといわれる。ともかく、プラトンは以後8年間ソクラテスの弟子となる。その後ソクラテスは前399年、死刑となるが、その時、プラトンは28歳だった。ソクラテスの死は、プラトンにとって哲学の原点となった。 ソクラテスの死後、プラトンは他の人々とともに、メガラのエウクレイデスのところに一時身を寄せたほか、キュレネやエジプトに旅をしたと伝えられている
国籍法が改正され、非嫡出子であっても認知されれば日本国籍を取れるようになりました。しかし、嫡出子は3ヶ月以内に出生届を提出しなければ、、国籍を失うという問題が残っています。 今でも小中学校で、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいで死んだという、まったく根拠のない虚構ともいうべき作り話を教えているのでしょうか。ソクラテスは何の著書も残さなかった。ソクラテスの言葉は、プラトンなど弟子たちの著作に断片的に残っているだけです。ソクラテスの「悪法もまた法なり」の出典はどこにあるのでしょうか。ご存知の方は教えてください。この日本人のほとんどが知っている、ソクラテスが言ったといわれる言葉が、日本の教科書以外どこにも書かれていない大嘘だとしたら、これこそ為政者が、自分の都合のよいように翻訳して国民の心に刷り込んだ仕掛けとも言うものではないでしょうか。出典と思われるプラトンのPhaedo(英
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く