東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。小学校3年の頃から漫画家になることを志望。目黒区立第一中学校では総番長を務め、高校3年生を相手に暴行傷害事件を起こしたこともある[1]。同校では高野慎三の兄が同級生であり、兄を通じて永島の悪名を聞いていた高野は青林堂に入社後、永島から文句をつけられるのを恐れて変名を使っていた[1]。 同校を2年で中退[注釈 2]後、家出して酒屋や洗濯屋、豆腐売り、自転車修理工など十を超える仕事を転々としながら漫画を描いていたがどれも長くは続かず、半年後に行き詰った。原稿を抱えて街を彷徨っていた(本人談)ところ、偶然再会した目黒区立第一中学校の同級生に支援され、祐天寺近辺の馬小屋の二階に住まいつつ、昼は豆腐や納豆を行商し、夜は漫画を描き、時折カット描きの稿料を得る生活を続けた。西品川で揚げ物屋を開業した母親ら家族も、反対しつつも
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