ローマ教皇がキリスト教国全体に権力を振るっていた中で改革の必要を唱えて、初めてキリスト教国の皇帝の支援を得ることができてその運動の土台を築けたのがルターです。それまでは強大なローマ教皇の前で火あぶりか処刑されるのがおちだったのですが、彼はドイツ皇帝の庇護を受けたためにドイツ内で彼に同調する実力者を多く得ることに成功しました。 ドイツ皇帝はカトリックとルター派どちらも選択してよいということにした上に、ローマ教皇へカトリックとルター派の折衷案を上申したのですが相手にしてもらえませんでした。それで、ルター派とカトリックの関係修復は絶望的となりドイツは事実上ルター派の国となったのです。 カルバンはルター派がはじめたプロテスタントの考え方にフランスで接して信奉するようになります。そしてカトリックのフランスで迫害されスイスに亡命します。彼はジュネーブをプロテスタントの聖地としてそこにカルバン派の神権政
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