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インターステラーに関するyatataのブックマーク (4)

  • 思想家 東浩紀が感動した父娘の物語『インターステラー』の到達点 | CINRA

    人はいつだって、まだ見ぬ世界やこれから訪れる未来に想いを馳せて生きるものだ。そして、できることならその未来の中でより良く生きるにはどうしたらいいのか、知りたいと思う。 クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』は、地球の寿命が終わろうとしている近未来を舞台に、新たに人類が生きる星を探しに宇宙へ旅立つ父と、地球に残された娘との感動のストーリー。バットマンを原作にした大ヒットシリーズ『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の3部作、夢と現実の世界を行き来するサスペンスアクション『インセプション』など、独自の設定で世界を描き常に観客を驚かせてきたノーラン監督が『インターステラー』で描くのは、遥か彼方の宇宙で試される人間の心と愛情。壮大な未知の世界を舞台に、こんなにも人間ドラマを取り入れた作品は彼にとって初めての試みと言えるだろう。そこで、クリストファー・

    思想家 東浩紀が感動した父娘の物語『インターステラー』の到達点 | CINRA
  • 『インターステラー』視覚化せよ!ブレーンワールド

    ジョルジュ・メリエスが映画のなかで、特殊撮影によって人類を月に送り出してから、現在まで続くSF映画の系譜のなかで、『インターステラー』は劇映画として、学術的な視点から、宇宙の神秘に最も深く踏み込んだ作品ではないか。 こういうことを言うと、「映画なんかよりもSF小説の方がはるかにすごいし深いところまでやっているぞ」という人も出てくるかもしれない。だがそれは、小説映画との制作方法の違いから、仕方のないことだと感じる。 映像作品は、描くものを視覚化しなければならず、読者に文章で長く状況や科学的な理論を説明することもできない。なので、複雑な状況を描き、科学的な考証が高いレベルに達するSF映画が稀少になってしまうというのは必然といえる。 実際には、近年のSF映画を引っ張ってきたのは、宇宙物理の学術知識というよりは、SF小説の存在であったといえるだろう。 そのなかで、オリジナル脚の『インターステラ

    『インターステラー』視覚化せよ!ブレーンワールド
  • クリストファー・ノーランの《インターステラー》 - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • 「インターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる

    結論から言うと、11月22日から日でも公開されるSF映画「インターステラー」は、映画として考えるとかなりハードなSFに属するが、SF小説として考えると割と標準的な部類であり、だからこそ、そこがスゴイという感じになります。 そのため、「どれぐらいSFの知識があるか?」「どれぐらいブラックホールやワームホールや特異点や5次元などの知識があるか?」という、観賞する側が持っているそもそもの前提知識保有量によって、感想に天と地ほどの差が出るレベル。 しかも編中ではゴリゴリガリガリのハードSFであるにもかかわらずというか、だからこそ、実際の科学的知識や知見や理論に裏付けられまくっているSF考証部分についての解説や説明がほとんどなく、セリフとしてちょろっと出てくる程度。 そのため、知識不足状態で見ると「父と娘の愛」とか、そういう方向での理解しかできない、という残念なことになってしまい、せっかくの「2

    「インターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる
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