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天正10年(1582年)6月2日は本能寺の変が起きた日。 このとき死に追い込まれた織田信長は一体どんな人物だったのか? 史実ではいかなる記録が残されているのか? かつてのフィクション作品では魔王のごとく描かれることも多かったが、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』がそうであったように、以前と比べてその評価は変わりつつある。 例えば那古屋城(なごやじょう)生まれとされていたのが、現在では勝幡城(しょばたじょう)だと分析されたり。 「鉄砲の三段撃ち」など存在していないとされたり。 あるいは朝廷に対しても「普通に保護してるじゃん……」という一面がクローズアップされたり。 今まで描かれがちだった【とにかく怖い信長像一辺倒】ではなくなっきている。 では、信長の生涯とはいかなるものだったのか? まず5段階に分けてザックリまとめるとこうなる。 ①尾張時代 1552-1560年 ②美濃へ進出 1561年-
※2020年2月2日に加筆・修正を加えました 今更ながら自己紹介ページを作りました! 改めましてむらゆかと申します。 既にこのブログに何十記事と書き続けてきましたが、この人誰だろうと思っていた方も多かったと思います…。すみません。 初めての方もたくさん訪れて下さっているので、この場をお借りして改めて自己紹介させて下さい。 (プライベートで私のことを知っている方は、このページは飛ばして構いません) 【目次】 旅行好きな学生時代 大学時代のサークルで外国人をガイド! 初めての就職先は旅行会社 24歳で結婚。順風満帆な人生をスタートさせたが… 難病ギランバレー症候群と診断 退院後、結婚式・転職と大きな転機が次々と ブログとの出会い 今後のブログについて 旅行好きな学生時代 この写真雄大ですよね。ニュージーランドで撮った写真です。 小4の頃からイギリス人の先生に英会話を習っていたので、英語を話した
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織田信長が美濃の斉藤氏を滅ぼして、100万石の大名になったとき、隣国の信濃は、武田信玄に支配されていました。 当時、戦国時代最大の大名といわれていた武田信玄は、最強の戦国武将でもありました。 もし、信長が信玄と戦えば、ほとんど勝ち目がありません。信玄の兵は、一人で三人の敵を倒せる、といわれるほど強かったからです。 逆に、信長の尾張兵は、弱いことで有名でした。戦で少しでも不利になると、逃げだす臆病者が多かったのです。 だから信長は、信玄にやたらとゴマをすります。贈り物を届けたり、自分の養女を信玄の息子に嫁がせます。 弱肉強食の戦国時代は、ゴマをすったからと安心できるわけではありません。ゴマすりは、単なる時間稼ぎといえましょう。 ところが、信長に幸運が舞い込みます。それは上杉謙信という化け物みたいに強い戦国大名が、武田信玄と戦い続けたからです。 信玄は信長の領土を狙う余裕がなくなりました。上杉
Twitterで「○○の変」と「○○の乱」についてトピックが長く続いています。 「○○の変」と「○○の乱」の違いって? 日本史の勉強が捗る豆知識ツイートが話題に – ねとらぼ 「○○の変」が成功した事件、もしくはクーデター、「○○の乱」が失敗した事件という意見が多いようですが、これは本当に正しいのでしょうか。戦国ヲタとしては、これは見過ごせないと思い、調べてみました。 私自身の定義は変は事件、乱は大規模な戦闘 日本史における変の一覧と成功したのかどうか 日本史における「変」の一覧 成功した変と失敗した変 成功した「変」 失敗した「変」 判断が難しい「変」 成功した「乱」があったのかどうか 壬申の乱 元弘の乱 「変」と「乱」のまとめ 私自身の定義は変は事件、乱は大規模な戦闘 本能寺の変の記事の末尾に私自身の見解を記載しています。 明智光秀の直筆の手紙が発見。本能寺の変の真実は? 日本史におけ
戦国時代に広告代理店はありませんが、戦国大名は誰でも宣伝マンのような仕事に熱心でした。 ある意味、兵の数よりも重要だったのです。 兵の数が少なくても、宣伝(情報戦)が上手ければ、兵をより多く集めることができ、戦に勝利できます。 逆に、宣伝が下手だと、兵が多くても裏切ったり、逃亡したりします。 とくに接戦の場合、宣伝力の差で戦の勝敗を決めることもあったのです。 織田信長は、この宣伝マンとしての能力も、他の戦国大名を圧倒していました。 民衆の口コミを最大限に利用した信長 戦国時代は、現代のようにテレビや新聞、インターネットもありません。宣伝媒体は、人間の口から口に伝えられる口コミでした。 この口コミを最大限に利用する仕組みを、信長は作りました。 つまり、民衆を味方につけ、信長に有利な口コミが起こる仕組みをつくったのです。 ちょっとAmazonのレビューに似ているかもしれません。レビューが商品の
日本は環境後進国なのか 10月4日、日経新聞オンラインの速報として、「脱CO2、先頭から脱落 環境後進国ニッポン 再生エネ普及で差」というタイトルの記事が大きく載った。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21864180U7A001C1SHA000/)。 書き出しは、こうだ。 「地球温暖化対策を評価する複数の指標で、日本は数値の悪化が止まらない。世界で急激に進むパラダイムシフトから取り残され、太陽光や風力といった再生可能エネルギーの普及や産業構造の転換が遅れているからだ。優れた省エネ技術や公害対策などで『環境先進国』といわれた日本の自画像は大きく揺らいでいる」 しかし、日本の再エネ(特に太陽光発電)の普及は他国に比べて遜色はない。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の2017年レポートによれば、2016年末の太陽光発電設備量は日本が4,170万k
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