ブックマーク / nara344970.hatenablog.com (2)

  • 柔術の稽古で柔(やわら)の意味を考える - 力を抜く身体目指し古武術稽古

    柔とは①やわらかい。しなやかで弱い。②心がやさしい。おだやか。とあります。 しなやかで弱いのは困りますが、しなやかに順応でき柔らかい物腰で心やさしく穏やかな人になれればもう何も望みません。 柔(やわら)とはそのような人を創るための意味が含まれているのではないでしょうか。 その方法論として柔術といわれる技術が発展してきたと考えることができます。 ただ柔術は武術の一種で戦いを想定した技術に柔(やわら)は似つかわしくないような印象があります。 しなやかで弱いとされる柔がなぜ武術の名となったのでしょうか? 現代の柔といえば「柔道」となりますが、私のイメージでは、柔道にしなやかで柔らかい物腰で心やさしく穏やかではなく、質実剛健心身ともに強くたくましく強靭さを思い浮かべてしまいます。 いつの間にか、いつの時代か柔が柔でなくなっているような気がして、柔という言葉だけが残り、中身は全く別の何かに置き換わっ

    柔術の稽古で柔(やわら)の意味を考える - 力を抜く身体目指し古武術稽古
  • 究極の危機回避行動は「後の先」 - 力を抜く身体目指し古武術稽古

    いにしえの侍は、よっぽどのことがない限り夜道を歩く事はなかったと師にお聞きした事がありました。 侍といえば太刀を腰に差し、強い立場と絶対の術を持ち合わせ向かうところ敵なしのイメージで、刺客を討つ場面が想像されます。 いつ何時も変幻自在に対応し、夜道であろうが霧の中であろうが怖いもの無しではないのか?と。 だから夜道ぐらいは別に問題ないのではと思ってもおかしくはないのですが、それさえも控える侍の慎重の上にもより慎重に生活する様が伺えるようでした。 最大のリスクヘッジは最大の準備をして何もしない事の如く、不要不急の事柄は当然として出来るだけリスクを回避し、余計な事はしない事。 そこまで徹底して身を守る事が究極の危機回避であり、不測の事態に出くわす確率は断然減ります。 根底にある哲学は、「先を読む」ではないかと思います。 先を読むにあたって情報収取は必須であり、周りの状況を常に分析して不測の事態

    究極の危機回避行動は「後の先」 - 力を抜く身体目指し古武術稽古
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