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  • 城ぶら「源範頼館跡」!埼玉吉見に残る御所跡、兄頼朝に従順を貫いた武将の悲運

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、埼玉吉見に残る源範頼の館跡、息障寺「源範頼館城」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!息障寺「源範頼館跡」、横見神社「御所陣屋」、「岩殿山安楽寺」をめぐります。まさか義経に続き、範頼までも…? ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 源範頼(みなもとのりより)は、源義朝の六男。 源頼朝の異母弟、源義経の異母兄に当たります。 兄頼朝が平家打倒の兵を挙げると、程なくして頼朝のもとに参じたとみられます。 寿永3年(1184)、頼朝の代官として源(木曽)義仲追討の大将軍となり、大軍を率いて上洛。弟義経とともに、宇治・瀬田の戦いで義仲を討ち取りました。 続いて、一ノ谷の戦いで平家軍を破ると、その後も中国

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    yayoi0841 2022/06/20
  • 源平を動かした後白河法皇ゆかりの京都「法住寺」と「三十三間堂」

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源平を翻弄した「大天狗」後白河法皇ゆかりの京都へ。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!権謀術数が繰り広げられた「法住寺」、平清盛が献上した「三十三間堂」、後白河法皇の陵墓「法住寺陵」をめぐります。 ■後白河法皇 後白河法皇は、鳥羽天皇の第4皇子として生まれました。 皇位継承とは無縁の立場で遊興に明け暮れますが、異母弟・近衛天皇の急逝により、突如皇位を継ぐことになりました。 この即位を発端として、皇族・公家・武家を巻き込んだ、保元・平治の乱がぼっ発します。 この乱で後白河は平清盛と結び自らの政敵を排除するとともに、平家はライバル源氏の一族をほとんど滅ぼしました。 当初、後白河と平家は協調関係にありましたが、平家の勢力が強大になると両者は次第に対立するようになります。 後白河近臣による平家打倒の謀議が発覚(鹿ケ谷事件)、さらに後

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    yayoi0841 2022/06/11
  • 京都大原「寂光院」 建礼門院徳子ゆかり 平家物語の世界へ…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、平清盛の娘にして安徳帝の母、建礼門院徳子ゆかりの地へ。 建礼門院が平家滅亡後に隠棲した場所、京都大原「寂光院」です。その陵墓「大原西陵」、さらには「三千院」も巡ります。京都大原「平家物語」の世界へ…。 ■建礼門院徳子 建礼門院。女院になる前の名は、平徳子。平清盛の娘です。 ときは平家の全盛期、徳子は高倉天皇の皇后として入内すると、皇子を生みます。 この皇子は3歳にして安徳天皇に即位(高倉天皇は上皇に)。これにより、徳子は国母となりました。 しかし、その栄華も永くは続きませんでした…。 治承5年(1181年)正月、夫・高倉上皇が崩御。その翌月に父・清盛が死去すると、平家の没落が始まります。 源頼朝や木曾義仲らが平家討伐の兵を挙げると、平家一門は京を落ち、西海に逃れます。 徳子も安徳帝とともに従いますが、壇ノ浦の戦いで源氏に

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    yayoi0841 2022/06/05
  • 城ぶら「大多喜城」!徳川四天王・本多忠勝ゆかりの千葉の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、徳川四天王・多忠勝ゆかりの千葉の名城、大多喜城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 徳川四天王の一人、多忠勝ゆかりの大多喜城。 その築城は1521年、上総国の戦国大名・真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされます。 その後、上総国をめぐる里見氏との抗争の舞台となり、城主を変えながら戦国時代末期をむかえます。 そして1590年、里見氏に替わって同地の支配権を得たのが徳川家康でした。家康は腹心の勇将・多忠勝を城主に任じます。 忠勝は上総に入ると、里見氏への備えとして、大多喜城を近世城郭に大改築。 ふもとに城下町を整備するなど、いまの大多喜の街の基盤をつくりました。 そ

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    yayoi0841 2022/05/29
  • 滋賀大津「義仲寺」平家を圧倒!朝日将軍木曾義仲が眠る寺社

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、朝日将軍と呼ばれた源義仲(木曾義仲)の眠る「義仲寺」(滋賀県大津市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!義仲を祀る「義仲寺」へ、義仲の墓所、巴御前を祀る塚などをめぐります。そこには義仲を敬愛した俳聖の墓も…。 ■木曽義仲 源義仲(木曾義仲)は、河内源氏の血を引く源義賢の次男として生まれました。 幼名は駒王丸。出生地は義賢が館を構えた武蔵国の大蔵館と伝わります。 義仲が2歳のとき、父義賢がその兄義朝との対立によって、義朝の長男義平に討ち取られます。 義仲にも殺害命令が出されますが、大蔵館から密かに信州木曾に逃されました。 治承4年(1180年)、木曾の地で成長した義仲のところに、以仁王から平家打倒の令旨が届きます。 これに応じて同年9月、義仲は信州で兵を挙げると、越後から北陸へと快進撃を続けます。 寿永2年(1183年)

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    yayoi0841 2022/05/21
  • 頼朝の野望…奥州合戦!ゆかりの鎌倉史跡「源氏山公園」「永福寺跡」

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源頼朝の奥州合戦ゆかりの鎌倉史跡をめぐります。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!源氏一族の戦勝祈願の地「源氏山」、平泉文化を受け継ぐ幻の寺社「永福寺跡」、さらに頼朝ゆかりの「宇賀福神社」「佐助稲荷神社」をめぐります。 ■城語り 文治5年(1189年)4月、奥州を治める藤原泰衡は、源頼朝の再三再四の要求に屈する形で、匿っていた源義経を急襲。自害に追い込みました。 泰衡は、義経の首を鎌倉に送り、頼朝に恭順の意を示します。 京の後白河法皇も、「これで国内は静かになる、もう戦さはおしまい」と、頼朝に伝えます。 しかし、頼朝は矛を収めませんでした。頼朝の目的は、奥州藤原氏の殲滅にありました。 これまで義経を匿っていた罪は反逆以上と、朝廷に泰衡追討の宣旨を要求すると、全国に動員令を発します。 そして同年7月、宣旨発出を渋る朝廷を無視し

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    yayoi0841 2022/05/14
  • 寺社ぶら「白旗神社」!源義経を祀る藤沢の神社と義経の首伝説

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、神奈川県藤沢市にある源義経ゆかりの寺社「白旗神社」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!義経の御霊を祀る「白旗神社」、そこに建つ「義経と弁慶の主従像」。「義経の首塚」、「弁慶塚」もめぐります。 ■義経の首 兄頼朝と対立し、奥州藤原氏のもとに逃れた源義経。 ときの当主・藤原秀衡は義経を庇護しましたが、息子泰衡は頼朝の圧力に抗しきれず、義経を急襲。義経は、奥州平泉の地で無念の最期を遂げました…。 義経の首は、新田高平(藤原高衡)を使者として鎌倉に届けられました。 そして文治5年(1189)6月、梶原景時と和田義盛によって、腰越の浦で首実験が行われました。兄頼朝は最後まで義経の首を見なかったようです。 伝承によればその後、義経の首は藤沢に葬られ、その御霊は寒川神社(後の白旗神社)に祀られました。 なお、義経の胴体は、宮城県栗原

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    yayoi0841 2022/05/07
  • しづやしづ…悲運の舞姫「静御前」義経を恋い慕う決死の舞い

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源義経が愛した舞姫「静御前」ゆかりの地へ。埼玉県久喜市栗橋にある「静御前の墓」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!静が頼朝の前で踊った決死の舞いとは…? ■静御前 静御前(しずかごぜん)は、京の白拍子(男装の舞姫)。源義経の愛妾です。 白拍子を始めたとされる礒禅師の一人娘として生まれ、長じて京にその名を知られる美しい舞姫となりました。 寿永元年(1182)、後鳥羽上皇が白拍子を集めて「雨乞いの舞い」を催したとき、静が舞うと空がにわかに曇り雨が降り出したと伝わります。 この頃、京にいた義経と出会い、その寵愛を受けるようになりました。 その後、義経は兄頼朝と対立して、京を離れます。静御前も義経と行動を共にしました。 しかし苦難の旅のなか、吉野山で義経と別れると、京に戻る途中で捕らえられました。 (JR栗橋駅にある静御前の肖

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    yayoi0841 2022/04/30
  • 城ぶら「高館義経堂」!兄頼朝に追われ平泉へ…源義経最期の地

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、源義経の最期の地、奥州平泉にある「高館義経堂」(たかだちぎけいどう)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!兄頼朝に追われ平泉に逃れた義経の最期とは?義経に最後まで仕えた武蔵坊弁慶、正・郷御前と娘の墓も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 源平合戦で獅子奮迅の活躍を見せた源義経(みなもとのよしつね)。 しかし、兄頼朝の許可なく官位を受けたことなどから、頼朝との関係が悪化。 頼朝から追討の兵を受けると、義経は少年期を過ごした奥州平泉に落ち延びます。 ときの東北の覇者・藤原秀衡はこれを庇護し、北上川に面した高台にある「高館」(衣川館)に居館を与えました。 しかし秀衡が病没すると、後を継いだ

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    yayoi0841 2022/04/25
  • 寺社ぶら「中尊寺」!奥州藤原氏の平和への願い積もる雪の光堂

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、岩手県平泉にある奥州藤原氏ゆかりの寺社「中尊寺」です。 雪の光堂へ…。「月見坂」を登って「中尊寺堂」そして「金色堂」。松尾芭蕉の像と句碑もあります。平泉一帯は、2011年6月に世界遺産に登録されています。

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    yayoi0841 2022/04/20
  • 城ぶら「柳之御所遺跡」!東北に栄華を築いた奥州藤原氏の政庁跡

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、奥州藤原氏の繁栄の跡、平泉にある「柳之御所遺跡」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!雪に覆われた「政庁跡」、3代秀衡の居館「伽羅之御所」、京都の平等院を模したとされる「無量光院跡」をめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 平安時代末期、東北の地に栄華を誇る一大都市がありました。 奥州平泉…。その規模は、京都に次ぐ人口を誇る日第2の都市でした。 平泉を拠点として、東北の地に覇権を敷いたのが、奥州藤原氏です。 前九年の役、後三年の役を経て、奥州の地を所領した藤原清衡を祖として、基衡、秀衡、泰衡と4代100年にわたって繁栄を築きました。 3代秀衡のときには、従五位下・鎮守府将軍に就

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    yayoi0841 2022/04/17
  • 鎌倉腰越「満福寺」!義経が頼朝に宛てた腰越状、その思いも虚しく…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源義経が兄頼朝に宛てて綴った手紙「腰越状」、それを書いた場所とされる鎌倉市腰越「満福寺」です。 義経ファンには胸が締め付けられる場所…。境内には「義経と弁慶主従の像」や「弁慶の腰掛石」、堂内には「腰越状の下書き」もありました…。 ■腰越状 寿永4年/元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いで、ついに源平合戦は終結。 平家は滅亡…。源氏の棟梁・源頼朝は、鎌倉を拠点とした新しい武家政権を開きました。 壇ノ浦の戦いをはじめとする合戦において、天才的な軍略を発揮し源氏を勝利に導いたのが、頼朝の弟・源義経です。 京に凱旋した義経は、後白河法皇からその功を讃えられ、配下の御家人らとともに官位を授かりました。 これに激怒したのが源頼朝です。自身の承認も得ず任官した者たちを罵り、東国への帰還を禁じました。 さらに梶原景時から頼朝へ、平家

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    yayoi0841 2022/04/11
  • 源平最後の戦い「壇ノ浦古戦場跡」!宿命の対決の果てに…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源氏対平家、宿命の対決の最終決戦「壇ノ浦古戦場跡」(山口県下関市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!源義経と平知盛の両者が対峙する像は迫力満点。壇ノ浦を見渡す「火の山ロープウェイ」や、安徳帝と平家一門を祀る「赤間神宮」もめぐります。 ■壇ノ浦の戦い 寿永2年(1183年)、源義仲に攻められた平家は、安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちます。 その後、義仲と源頼朝の対立に乗じて兵を立て直しますが、勢いに乗る鎌倉勢を押し戻すことはできませんでした。 平家軍は、一ノ谷の戦い、屋島の戦いと、相次いで源範頼率いる鎌倉源氏軍に敗北。 これらの戦いでは、源義経が天才的な軍略を発揮して、その勝利に貢献しました。 瀬戸内海を転々と逃れた平家軍は、ついに州最西端の長門国彦島に拠ります。 追う源氏軍は、範頼が九州に渡り平家の背後を遮断、

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    yayoi0841 2022/04/03
  • 城ぶら「武田信義館」!甲斐武田氏の祖・信義の栄華と悲運のあと

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、甲斐武田氏の祖・信義の居館跡「武田信義館」(山梨県韮崎市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!武田信義の墓がある「願成寺」、韮崎市役所には「武田信義の騎馬像」もめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 ときは治承4年(1180)。源頼朝の伊豆挙兵と同じくして、甲斐で挙兵した武将がいました。 それが、武田信義(たけだのぶよし)。新羅三郎義光の血統を受け継ぐ、甲斐源氏の棟梁でした。 信義は、平家方の駿河目代を討ち取り駿河国を占拠し、平家軍を待ち構えます。 やがて京から平家軍がやって来ると、信義は富士川の東岸に着陣。鎌倉から出兵してきた源頼朝と連携して平家軍と対峙します。 そして迎えた

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    yayoi0841 2022/03/19
  • 源頼朝・義経兄弟、涙の対面石!頼朝・政子、愛の腰掛石も…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、源頼朝と義経が涙の対面を果たした、静岡清水「八幡神社」へ。2人が腰掛けたと伝わる「対面石」があります。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!富士川の古戦場跡「平家越」、頼朝・政子ゆかりの「腰掛石」もめぐります。 ■いざ富士川 ときは源平合戦期。いざ富士川…。 この日訪れたのは、静岡清水にある「八幡神社」。源頼朝と義経が涙の対面を果たした場所です。まずは、その対面に至る経緯を振り返りましょう。 治承4年(1180)10月、ついに鎌倉入りを果たした源頼朝。 これに対し、ときの権力者・平清盛は追討の兵を派遣することを決定します。 頼朝は、平家軍を迎え撃つべく、坂東武士を率いて鎌倉を発します。 さらに、甲斐国からは甲斐源氏を率いる武田信義が出兵しました。 源平両軍は、富士川を挟んで対峙します。いざ決戦…! しかし、平家軍は飢饉による兵

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    yayoi0841 2022/03/12
  • 城ぶら「高藤山城」!上総広常の城?房総に覇を唱えた武将の命運

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、房総上総に覇を唱えた武将上総広常の居城と言われる「高藤山城」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!広大な田園風景のなかに立つ山城「高藤山城」、そして広常が願文を奉納した「玉前神社」へ…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 治承4年(1180)平家打倒の兵を挙げた源頼朝ですが、石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れます。 再挙をはかる頼朝は、房総半島の豪族たちに協力を求めました。 その一人、下総国の豪族・千葉常胤は、源氏の再興に感涙するほど極まり、速やかに300騎を率いて頼朝のもとに参陣。頼朝から、「父と思う」という賛辞を受けます。 一方、上総国を治める豪族・上総広常は、「千葉介(常胤)と相談した

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    yayoi0841 2022/03/06
  • 城ぶら「伊東館」!頼朝に立ち塞がった伊東祐親!八重姫の悲恋も…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、伊豆伊東を治めた豪族伊東氏の居館跡「伊東館」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!伊豆に配流された頼朝を預かった「伊東祐親の像」や八重姫・頼朝ゆかりの「音無神社」「日暮八幡神社」、「曽我兄弟の墓」も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 「伊東館」は、伊東氏代々の居館があった場所とされます。築城年代は定かではありません。 伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国伊東荘を領として栄えた豪族で、藤原南家の流れをくむ伊東祐隆(工藤祐隆)を祖とします。 祐隆は、嫡男祐家が早逝していたため、後の娘の子祐継を嫡子として、領の伊東荘を継がせました。 一方、祐家の子祐親も養子に迎え、河津荘

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    yayoi0841 2022/02/26
  • 城ぶら「亥鼻城」!頼朝再起を援けた千葉常胤、鎌倉殿へ繋ぐ鏑矢

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、源頼朝の復活を支援した千葉一族飛躍の城「亥鼻城」(千葉城)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!勇壮に弓を引く「千葉常胤の像」、「亥鼻城址」の石碑、天守風の郷土資料館などをめぐります。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 亥鼻城(いのはなじょう)は、平安時代末の大治元年(1126)に千葉常重が築城したとされます。 千葉氏は桓武平氏の血を継ぐ名門で、常重のときに上総国大椎から千葉に拠を移しました。 この千葉氏に隆盛をもたらしたのが、その息子・千葉常胤(ちばつねたね)です。 常胤は、保元元年(1156)の保元の乱に出陣、源義朝指揮下で戦ったことから源氏と強い関係を築きました。 治承4年(11

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    yayoi0841 2022/02/19
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  • 城ぶら「大庭城」!大庭景親の武勇と舟地蔵伝説が残る古城址

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、東相模に残る平安の古城址「大庭城」(神奈川県藤沢市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!相模に覇を唱えた大庭景親の広大な居城跡。戦国期には北条早雲も攻めました。悲しい「舟地蔵」伝説も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 平安時代の末期、この地は「大庭御厨」と呼ばれる伊勢神宮の荘園でした。 この荘園を開拓したのが、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景正(権五郎、景政)。後に子孫は大庭氏に改姓し、この地を治めました。 城を築城したのは、景正の孫にあたる大庭景宗と言われます。 その子が、平氏の家人として相模国に覇を唱えた大庭景親。景親は、平氏打倒の兵を挙げた源頼朝を石橋山の戦いで破ると、その後も平氏

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    yayoi0841 2022/02/14
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  • 城ぶら「怒田城」!海の武士団・三浦一族の武運を拓いた海の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、三浦一族が武運を切り拓いた海の城「怒田城」(神奈川県横須賀市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!海の武士団・三浦一族の誇る天然の要害「怒田城」跡をめぐって、鎌倉草創期に思いを馳せます。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 怒田城(ぬたじょう)は、三浦氏によって築かれたと伝えられます。 築城年は不明ですが、平安時代末期に三浦為継によるという説もあります。 位置づけとしては、三浦氏の居城・衣笠城の支城。 海上活動を活発に行い「海の武士団」と呼ばれた三浦氏の根拠地であったと考えられます。 治承4年(1180)、源頼朝の挙兵に応じて出兵した三浦氏は、平家方の畠山重忠軍と遭遇、合戦となります。

    城ぶら「怒田城」!海の武士団・三浦一族の武運を拓いた海の城
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    yayoi0841 2022/02/06