チェルノブイリ周辺の放射能汚染地域で子供の甲状腺ガンが増えているという話を私がはじめて聞いたのは、1990年の夏に同僚の瀬尾と一緒に現地調査へ出かけたときだった。ウクライナ・キエフの小児産婦人科研究所の医師が、汚染地域でそれまでに5件の小児甲状腺ガンが発生したと教えてくれた。WHOの専門家は事故との関係を認めていないが、彼は事故による被曝が原因と考えているとのことだった。 国際チェルノブイリプロジェクト ソ連国内の汚染地域のようすが少しずつでも私たちに明らかになりはじめたのは、事故発生から3年たった、1989年の春頃からである。ゴルバチョフ政権下でペレストロイカ路線が行き詰まり、共産党の権威が崩壊するとともに、情報公開や汚染対策を求める運動が各地で広がり始めた。ソビエト連邦を構成するベラルーシやウクライナといった各共和国も汚染対策の強化を連邦政府に求め出した。そうした下からの突き上げに手を