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生き方と夜と霧に関するyizhakのブックマーク (4)

  • 人生の意味を問うのは問題を間違えている。人生が、あなたに意味を問うて..

    人生の意味を問うのは問題を間違えている。人生が、あなたに意味を問うているのだ。生きるとは、問いに答えつづけることである。 自分は特定の宗教は信仰してないけど、フランクルのこの言葉は生きる指針になってる。

    人生の意味を問うのは問題を間違えている。人生が、あなたに意味を問うて..
    yizhak
    yizhak 2015/06/08
    これ。
  • 自分の身に起こったことを必然にできない人 - いつか電池がきれるまで

    『洋子さんの棚』(小川洋子・平松洋子著/集英社)というのなかで、こんなやりとりがありました。 小川洋子:河合隼雄先生とお話しした時にうかがったのですが、病や心の苦しみを抱えてカウンセリングに来る人たちは、自分の身に起こったことを必然にできない。いろいろな過去を、これは起こるべくして起こったとは思えない。後悔を昇華できないんだそうです。 平松洋子:そうしてあの時にこういうことをしちゃったんだろう、どうしてあの時にこうしかできなかったんだろうということに、とりこまれていくということですね。あの身を苛まれるような苦しさは、逃げ場がなくてつらい。 小川:すでに起こってしまったことを、あれは必然だった、必要なことだったと思うためには、自分にある意味嘘をついて、物語にして昇華しないといけない。それが出来ないと病んでしまうんですね。 平松:ただ、あれは必然だったと自分の中でおさめていくにも、やはりエ

    自分の身に起こったことを必然にできない人 - いつか電池がきれるまで
  • 「わたし」を見失わないために:ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んで - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena

    ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んだ。 心理学者である著者は、第二次世界大戦中、ナチスによる強制収容所に収容された。このは、その経験を心理学の立場から記録しようとしたものである。 強制収容所での生活は、苦痛と飢餓と暴力と死に満ちている。そしてなによりも、自分の将来を自分でコントロールする力を完全に奪われてしまう。そのような状況が続くことで、被収容者には、自分の心を守るために「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心」という心理的反応が生じるという。 「収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を意志などもたない、運命や監視兵の気まぐれの餌とし、ついにはみずから運命をその手つかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る」という。そして、「自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。」 以下、破綻し

    「わたし」を見失わないために:ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」を読んで - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena
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