2014年9月5日のブックマーク (1件)

  • 「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子|青柳美帆子

    腐女子の性欲について話す前に、少し『百合男子』の話をします。 倉田嘘の『百合男子』のことを考えていました。『百合男子』は2011年から「百合姫」で連載されている漫画で、百合好き男性と百合作品をメタ的に描いています。 「我思う、ゆえに百合あり。だがそこに我、必要なし」 この「名言」が、私は当に嫌いでした。 今から偏見を口にします。 すごく「自意識過剰」に思えるのです。 そもそも、百合作品(に限らず、ほとんどの創作物)の中に「自分」という登場人物は存在しません。登場人物に共感し、感情移入することはありますし、「このキャラのようになりたい」「こういう気持ちはすごくよくわかる」「このような恋愛がしたい」ということもあるでしょう。 でも、「自分」を作品内に作り上げることはない。 『百合男子』の言説に対する違和感は、感覚としては以下のものに似ています(厳密な対称性はありませんが)。 少女漫画の超美少

    「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子|青柳美帆子