2016年1月19日のブックマーク (2件)

  • ケルン暴力事件で露わになった「文明の衝突」

    ドイツを変えたケルン事件 この出来事は、単なる刑事事件ではなく、政治的に大きなマグニチュードを持つ。難民問題をめぐるドイツ人の意識は、大晦日の夜を境に、一変したと言っても過言ではない。これまで「戦火を逃れてドイツにたどり着いた難民を積極的に受け入れるべきだ」と考えていた人々は、1年間に約100万人の難民を受け入れることが、現実生活の中で何を意味するかを、ようやく悟った。 ドイツで一度も起きたことがない暴力事件を見て、ドイツ人たちは、「文明の衝突」を体験しつつある。ケルン事件以降、多くのドイツ人の心から、「難民を歓迎する文化(Willkommenskultur)」は雲散霧消した。首相のアンゲラ・メルケルが難民受け入れ数に上限を設けない限り、彼女に対する支持率は今後下落するだろう。 外国人による女性襲撃 大晦日の夜に、何が起きたのか。ライン川に面した古都ケルンは、中央駅の南側に大聖堂があること

    ケルン暴力事件で露わになった「文明の衝突」
  • 100年前の条約はまだ生きていた。オランダ大使館で聞いた日本人が知らない特権 | ライフハッカー・ジャパン

    オランダ移住を語る上で欠かせないのが、日とオランダの間で1912年に締結された日蘭通商航海条約(The Treaty of Trade and Navigation between the Netherlands and Japan)です。100年以上も経っている戦前の条約ですが、日人がオランダで労働許可なく就労したり、自由に事業をしたりする特権が認められる根拠になりました。 ただ、この条約、二度の世界大戦による混乱もあったためか、実際は長い間忘れ去られていました。再び注目を集めるきっかけになったのが、オランダにある文化センター「松風館」をめぐる裁判だったのです。 ── 日蘭通商航海条約が復活するきっかけとなった、松風館の裁判について詳しく教えていただけますか? カイパース氏:松風館はオランダのロッテルダムにある日をテーマにした文化会館で、2012年に日茶室と庭園の建設のために日

    100年前の条約はまだ生きていた。オランダ大使館で聞いた日本人が知らない特権 | ライフハッカー・ジャパン