神田明神は、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷座され、江戸全体を守護する江戸総鎮守として尊崇されました。正式名称は神田神社といいます。古くから「明神さま」の呼び名で親しまれました。 神田明神の元となる神社は、もともと現在の将門塚(大手町)付近にありましたが、幕府により現在の地に社殿が造営されました。以後、「江戸総鎮守」として江戸庶民に崇敬されるようになったのです。 “神田”という地名は、もともと神社の祭祀のために使用する稲を育てる土地のことを指します。とくに新稲を幣帛として伊勢神宮へ奉納する慣例があり、同様の地名が日本全国に存在しています。 東京の神田もまた同じ由来をもつと考えられ、古くからこの土地では、稲田の豊作を願うために五穀豊穣の神である大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っていました。神田明神も、当初はこの大己貴命のみを祀る神社だったと考えられます。