文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。 愚かなことである。 日本語がこれだけできなくなっている知的状況で二カ国語を学ばせる意味がどれほどあるのか。 特にオーラル中心の語学教育の子どものメンタリティへの影響については、もうすこし真剣に考えた方がよろしいのではないか。 英語運用能力を重視する教育機関で何が起きているか、みなさんはご存じであろうか。 論理的には当たり前のことであるが、それは「英語運用能力の高さにもとづく人間的価値のランキング」である。 「英語が他の教科に比較して際だってよくできる」という条件をクリアーしてその教育機関に入学した学生は、当然ながら、「英語ができることは、きわだってすぐれた人間的能力である」というイデオロギーのかたくなな信奉者になる。 これはごく自然なことであるから非とするには当たらない。 けれども、そのような学生たちの教場での
脳の前頭部をはぎ取られた男「生きていても仕方がない」と主張するも、自死権認められず…仙台地裁http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1093286.htmlhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1093286.htmlロボトミー殺人事件 - Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6http://b.hatena.ne.jp/entry/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%88%E3%8
ちょっと時間がないので完全なメモだけですけれども。 沖縄での米兵によるレイプ事件について、ネット上でも(それ以外でも)色々と議論が起きているようです。わたくし、この問題には何となく口を挟みにくい気がしていた。Macskaさんがここのコメント欄で述べていらっしゃることと、理由はまったく同じ。 少女に対する性犯罪をきっかけに日本本土におけるメディアの扱いや世論が沸騰するあたりは、少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っているだけのような気がするので距離を置きたいと思っています。そうなるまで沖縄の人たちがどれだけ負担を押しつけられているのか気にしようともしなかったのに、こういう事件があったときだけ大騒ぎするのはおかしいし、普段は性暴力について何も考えていない人が、加害者が米軍兵士だった場合だけ大騒ぎするのもおかしい。 沖縄の負担について考えないわけではないけれども、積極的に何かをしてき
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