2018年2月13日のブックマーク (2件)

  • 「地頭の良い人」と、そうでない人の本質的な違いはどこにあるか。

    コンサルタントをやっていた頃、良いか悪いかは別として、採用に関して「地頭の良さ」を重視する風潮があった。 地頭の良い人間は一定の訓練でそれなりのコンサルタントになる。 だが、お世辞にも地頭の良いとはいえない人間は、いつまでたっても一人前になれなかったからだ。 実際、私が20代半ばで所属していた部署では、中途採用にあたって「学歴」をさほど重視していなかった。 重視していたのはとにかく「地頭」だ。 ある応募者は、「高卒」で「自動車整備工」になり、そして「先物取引の営業」に転職、そして最後に「漁師」という経歴を持っていたが、彼は採用された。 彼の言動は、地頭の良さを十分に感じるものであったからだ。 彼の業務経験の貧しさは訓練でなんとかなる、皆がそう思ったのである。 彼はその後、会社に大きな貢献を残し「支社長」まで努めたのだから、その時の判断は間違っていなかった。 ■ この「地頭」の正体について、

    「地頭の良い人」と、そうでない人の本質的な違いはどこにあるか。
    yom-amota
    yom-amota 2018/02/13
    私はこの手の人は“眼のよい人”と呼んでいるな、
  • 理由のない多幸感

    数年に一度あるかないかのタイミングで じっとしているのが難しいほどの幸福感としかいえない気分に包まれる事がある とくになにも理由のない瞬間 バスにのってどこかへ移動している時であったり 夕飯の買い物のためスーパーをブラついている時であったりする それはごく短い時間で終わってしまう これは一体何なのだろう ほかの誰にでもある事なのだろうか あまりこのような体験を聞く機会は無いが… ちなみに 毒親と同居していた期間や、離婚した配偶者と生活している間にこの気分が訪れた事は一度もなかった かといって、特に今の中年貧乏一人暮らしの毎日に満たされているというわけでもない。 わけのわからない寂寥感や悲しみ、絶望を感じる事もあるが こっちは望まなくてもしばしばやってくる。

    理由のない多幸感
    yom-amota
    yom-amota 2018/02/13
    私は春先に道を歩いているだけでなるな、