30代でやりたいことをするために、 20代はやるべきことを徹底的にこなす。 これは19才で母国を離れる時に決意したことだ。 20代の時は徹底的に挑戦しそして徹底的に我慢する。 「挑戦と我慢」 矛盾しているように聞こえるかも知れないが自分の中では循環的に捉えていたので矛盾ではなかった。挑戦をするとそれが実を結ぶまでは徹底的に我慢することも必要となる。そしてある程度の実を結ぶとその実の表象的な部分は捨て、本質的な部分のみを胸に刻み、潔く次の挑戦に飛び込む。そういう意識で住む国を変え、話す言語を変え、専門を変え、会う人を変えてきた。今自分がいる環境が自分の選択の結果である以上、その環境の中で徹底的に我慢(努力)し、結果を出す、そしてその反復をを通じて周りから少しずつ信頼を得ていく。そしてその10年を過ごすことで30代になった時に`自分で`環境を選べることが出来る実力・強さが身についてくる。 入社
境界というのは分類という行為によって生まれる。決して自然発生的なものではない。分類は人為的なものであると同時に権力闘争の産物である。分類が明確に決まるまで結論は曖昧なものだが一旦社会的な合意が形成されるとそれが覆されることは滅多にない。 そして時間が経過すればするほどそれは揺るぎのないものになっていく。その分類は合意形成された時からの変化の度合いが高ければ高いほど時代遅れになっていくのも事実。にもかかわらず一旦収束された分類が変化することが希なのはその分類によって権力を維持している人達がいるからだ。なので改革の成功には分類軸の変革が必須事項だ。 それではなぜたったの分類ひとつで権力闘争になるのか。それは分類が我々の思考を構造化し固定化するからだ。分類は差異に基づいて決まるわけで従って物事や人間のアイデンティティを規定する。 既存の分類に順応するとその境界の中で飼われることになる。殆どの人は
「体の中で脳の中で彷徨う細胞を集結させ、一つの方向性に向けて並ばせること」 これが私の集中力の定義。 集中力はゼロから創り上げるものではない。 既にある兵卒(=細胞)を指揮し、方向付けする。 横に広げるのではなく縦に並ばせるイメージ。 集中力を発揮するためには、 明確な優先順位付けや目標の設定が前提となる。 集中するにはかなりのエネルギーが求められるので集中する対象への確信は必須だ。 集中力が高まると、思考の早さや深さが変わってくる。 ある一定期間の中での「論理連鎖の数」や「論理連鎖の精度」を 人より何倍も高めることが出来る。 その結果、相手より論理展開のかなり先に到達して、議論することになる。 これが交渉である場合は「自分が考えた落とし所に相手を導いていく」ことが出来る。 「体の中で脳の中で彷徨う細胞を集結させ、一つの方向性に向けて並ばせること」 ということは、一つの命令系統に絶対服従さ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く