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ブックマーク / ieiri.net (3)

  • 諦めるとは

    選択肢の多さがむしろ人を苦しめるなんてことは往々にしてある訳で、いろんなことを諦めざるをえない境地まで行き着くと、逆に生き方を楽にすることもある。諦めるとは明らかにすることでもある。???? あれも出来るこれも出来る、なんて夢を見ることはとても苦しいので、個人的には夢なんて全くもっていらない(むしろ害悪になることも多い)と思ってて、いまやれることをやる、それだけでいいと思ってるし、そういう態度で生きている人は美しいなあと思う ここら辺の価値観は前の自分とは変わってきてる部分でもあって、夢を見せたり夢を煽ることほど罪深いことは無いな、と今は思っている、夢を見たけど叶わなかった大多数の存在を無視して「夢は叶う、夢は素晴らしい」なんてこと、嘘でも言いたくない そんな僕がCAMPFIREという場を提供していることは矛盾しているようにも思えるけど、少なくとも「クラウドファンディングで夢を叶えましょう

    諦めるとは
  • ちんちんの話

    「ここにいない誰か」「ここでない何処か」と、自分たちを比べたりするから、負けた気がする。劣ってる気がする。逆に見下したりする。大事なものは「ここにある」ことを知り、それだけを見つめたらいいんだと思う。それはきっと、「ほどほどを知る」ということなんだな。もちろんいい意味でね。 ちんちんの大きさの話じゃないよ。 僕がこんなきれいごとみたいなことを言い続けるのは、劣等感まみれな自分自身が、頻繁に人と比較して落ち込んだりするからなんです。自分に言い聞かせるためにつぶやいてる様なところがある。ちんちんの話じゃないよ。 僕の友人は根っこを縛る器具を通販で買って、それでちゃんと大きくなったと喜んでたよ。真偽のほどはわからないけど、ちょっと良いなと思ったよね。 もちろん、ちんちんの話だよ。

    yoshidashingo
    yoshidashingo 2014/11/25
    ちんちんの話
  • クレメンティア

    いま急成長中のgumi国光氏はマジで面白い。時代の文脈を的確に捉え、ちゃんと語れる、稀有な経営者だと思う。彼のグローバルマッチョ的な生き方、僕のある種ノマド的な生き方・活動は、一見相反する様に見えるが、実はどちらも「大きな物語」が終わってしまった日における、新しい自己実現の形なのだ。 国光氏が経営者として大事にしているのは、カエサルにおけるクレメンティア(寛容)である。カエサルは「自分自信に忠実であるために、他者にも寛容であれ」と言い、いつかまた敵になるであろう敗戦国の兵士を捕虜や奴隷にすることは無かった。「寛容」これはこれからの時代のキーワードでもあると思う。 優しくされたいから他人に優しくする、認められたいから他人を認める、叩かれたくないから他人を叩かない。助かりたいから他人を助ける。実はこれらは全て自己中である。カエサルのクレメンティアと同様に、自己中であるために、他人に対して寛容

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