2020年6月21日のブックマーク (2件)

  • 「人を傷つけない笑い」を目指す時、芸人である僕は「傷つける笑い」が支持されてきた理由を考えた

    いまお笑いの業界では「人を傷つけない笑い」が一つのトレンドとなっています。「人を傷つける笑い」ではもう笑えない、と感じる人も多いようです。

    「人を傷つけない笑い」を目指す時、芸人である僕は「傷つける笑い」が支持されてきた理由を考えた
    yoshikie
    yoshikie 2020/06/21
    人を傷つけない笑いが良いという空気が醸成されていて、だけどそれを単純に避けて面白いのか、という制作者側の悩みを綴ったいい記事と思うけど、ブコメはぺこぱの笑いはそんなんじゃないという大合唱だったでござる
  • 悲劇のコンビ、フォークダンスDE成子坂 運命を狂わせた「ボキャ天」

    1994年、『GAHAHAキング』10週勝ち抜きを達成したフォークダンスDE成子坂を伝える雑誌記事。その実力から、当時、多くの雑誌が取り上げた デビュー間もなく認められた才能 『ボキャ天』で感じた“ねじれ” 引き継がれた2人の遺志 2019年11月、元フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎(享年48)が、がんを患って亡くなった。その相方だった村田渚(享年35)は、2006年にくも膜下出血で急逝。コンビともに若くしてあの世へと旅立った。デビュー後間もなく賞レースで結果を出し、業界内外から才能を高く評価されていた。しかし、なぜか彼らはブレークできなかった。そして、まさかの解散……。刹那(せつな)的に生きた伝説のコント師・フォークダンスDE成子坂。その軌跡をたどる。 デビュー間もなく認められた才能 桶田と村田は、中学校の同級生として出会った。ともに小学生の途中で三重へと引っ越してきた転校生組。桶田

    悲劇のコンビ、フォークダンスDE成子坂 運命を狂わせた「ボキャ天」
    yoshikie
    yoshikie 2020/06/21
    なんかトップブコメが視聴者から募った替え歌の面白さを競う番組だった、という説明が違うというものだけど、私は説明に違和感ないのだが。空耳アワーの変化版というのも当時からそう言われていた記憶