自民党参院議員会長、労相などを歴任し、「参院のドン」と呼ばれた村上正邦(むらかみ・まさくに)氏が10日午前4時半、埼玉県朝霞市内の病院で死去した。88歳。家族葬の予定。 福岡県出身。拓殖大卒。参院議員秘書を経て昭和55年の参院選全国区で初当選し、連続4期務めた。 けんか腰の発言で物議を醸すこともあった半面、国対畑が長く、根回しや裏方の仕事を得意とした。また、保守派を代表し、参院の独自性を訴える政治家として頭角を現してきた。 平成4年に宮沢喜一改造内閣の労相で初入閣。その後参院自民党の幹事長、議員会長に就き、存在感を増した。10年には参院議員初の自民党派閥領袖(りょうしゅう)となる「政策科学研究所」(中曽根派)会長に就き、11年に亀井グループと合併した「志帥会」(現・二階派)の初代会長に就いた。同年に行われた「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の運営に尽力した。 小渕恵三首相が倒れた1