巨人入りを決めた大竹は、慎重に言葉を選んで報道陣の質問に答えた。 ――決断したのは。 「昨日(24日)の夜。どの球団からも高い評価をいただいていたので迷った。決め手は地元の関東で野球がしたいと思ったこと」 ――巨人入りを決めた。 「自分をどう必要としているのか、環境面や球団の方針などトータルで考えた。(他球団に)条件面で高いものをいただいたが、最終的にはそこではなかった」 ――広島を退団する。 「何がつらいかと言えば、広島を出るということ。FA権を行使しようと思ったときもあれば、残るんだという気持ちの時もあった。12年間、僕を育ててくれたカープ、オーナーをはじめ首脳陣、仲間、何よりファンには感謝の言葉しかない」 ――一番の思い出は。 「ことし、CS(クライマックスシリーズ)に出ることができたこと。本当にたくさんのカープファンの声援を受けてCSでチームのみんなとプレーできたこと」 ――来季は
2006年のプレーオフ、王貞治は闘病でベンチにはいなかった。「監督の待つ福岡に戻ろう」というのがチームの合言葉だった。 インタビューは午後、練習終了後とのことだった。 リハビリ組が練習している福岡市・西戸崎の室内練習場は、アクセスが悪い。その日、朝イチで動き始めても東京からだと到着は昼前後になりそうだった。そのため、広報担当者に昼過ぎにうかがうと伝えると、練習前にきてくれないかと頼まれた。斉藤和巳はそういうことを嫌がるから、と。 つまり、こちらの都合のいい時間に行き、インタビューだけしてさっさと帰るというような取材の仕方は斉藤が不愉快に感じるということだ。 昨年3月――。2008年以降、実戦登板から遠ざかり、斉藤のリハビリ生活もすでに5年目に入っていた。あれだけの投手が、投げられなくなった。今、どんな思いでいるのか。それを聞きたかった。 広報の申し出によって、前泊を余儀なくされた。しかし今
楽天・優勝パレード(24日、仙台市)地元・仙台市出身の斎藤は、沿道を埋めた21万4000人に「興奮冷めやらぬ…ですね。圧倒されました」と胸を熱くした。 「これだけ多くの方々から声援をいただき、日本一を改めて実感ですね。とても幸せな時間でした。子どもの頃に育った場所で凱旋(がいせん)パレードができるなんて、夢にも思っていなかったですからね」 今季日本球界に復帰した43歳右腕は中継ぎに加え、抑えのラズナーの離脱もありシーズン終盤はクローザーとしても登板。米大リーグ時代の経験を若手に伝えるなど、精神面でも投手陣を支えた。 東日本大震災からの復興は、まだ道半ばだ。自身の知人、友人も多く被災しており「これからも野球というスポーツを通じて、ファンに励ましのメッセージを送れたらいいですね」。25日は球団納会の前に契約更改交渉が予定されている。44歳となる来季も、存在感を発揮してくれそうだ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く