7月某日、球界の重鎮が一堂に会した。「育成の鬼」と呼ばれた関根潤三氏、「野武士軍団」の豊田泰光氏、「350勝投手」米田哲也氏。球界の草創期から活躍し、すべてを知りつくした3人に、スピードガンがなかった時代の投手について尋ねると、お三方からはこんな返事が返ってきた。 * * * 米田:ニュースカメラで撮影して、コマ送りにすると球速は計算できたのよ。それで測ると、僕の速い球で152~153キロといわれたな。そんなピッチャーは、各チームに2~3人はいた。 豊田:そうだね。そういうピッチャーが投げ合うと投手戦になって試合が予定通りに終わらないから、彼女とデートの約束をしていても間に合わなくなる。 米田:でも、逆に早い試合も極端だったですよね。土橋(正幸=東映)さんと投げ合う時なんか、土橋さんが「今日はヨネちゃん、早く終わらせような」とポンポン投げるから、1時間45分くらいで試合終了。バッターが「待