興行大失敗、でも“博打”に成功 (取材・文=梶山 寿子) 石川光久は、映画『イノセンス』(2004年3月公開)の成功に、プロダクションI.Gの社運を賭けていた。 ジブリの鈴木敏夫プロデューサーに援軍を頼んだことは、石川の不退転の覚悟の表れだろう。おかげで最強の宣伝キャンペーンを展開することができた。 だが、タイトルが『攻殻機動隊 2』から『イノセンス』に変わったことで受けた打撃も、また大きかったのだ。 当初は、テレビシリーズやゲームと合わせて、『攻殻機動隊』シリーズとして映画を売っていく準備を進めていた。ところが、映画のタイトルが変わり、パートナーを組む企業も入れ替わったことで、すべては水泡に帰したのである。 「そんなにお客が入る映画じゃない」 石川が言う。 「映画を『攻殻機動隊』と切り離したことは、ほんとうに辛かった。石川の立場はどうなるんだ、と…。それでも自分としては、