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国語と執筆に関するyowanoのブックマーク (1)

  • unlimited blue text archive:「ゆゆ式」に見る”正しく削ぎ落とされた日本語”

    ”人間は日常生活に於いてさほど順序立てて話さない”という事を初めて意識させられたのは、清水義範の『ビビンパ』を読んだ時だったかと思う。所謂平均的な家族、父親・母親・息子・娘が近所の焼肉レストランでアレをえ、これはサニーレタスじゃないだろう、2つで丁度いいのよ、最近の若い奴はオイルショックも知らん、みたいなどうでもいい話を延々繰り広げて終えるだけの話である。「実際の日常会話というのは得てしてこういう要領を得ない話し方になるよな」と、作者が書いていたのか自分がそう感じたのかは忘れたが、これが一つの契機となった。フィクションの中の台詞を疑う、という習慣の始まりである。 そういう目で見始めると物語の登場人物達がどんな時にも「誤解が発生しないように、主語や述語をくどい位に繰り返し、読む者聴く者に分かりやすく話してくれている」事に気付く。他愛のない日常を舞台にした作品においてもなお、彼ら、彼女らは物

    yowano
    yowano 2014/01/10
    現実での日常会話は順序立てられたものにはならない一方で、フィクションでの日常会話は理路整然としたものになる。しかし、ゆゆ式は例外で、その日常会話は現実のものに類似しており、見事である、という話。
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