今では作家になるには新人賞をとればいいのだと一般的に思われているが、これは意外に最近になってからの話である。 漱石も鴎外も新人賞をとらなかった(そんなものはなかった)。太宰治が世に出たのは、友人の檀一雄が金を借りて同人誌をつくってやったからだ。 もっと最近になっても、公募制の新人賞といえば江戸川乱歩賞と新潮新人賞と群像新人文学賞くらいしかなかった時代が相当長い。我々の知る作家の多くは、新人賞を経ずに作家となったのである。 新人賞の数をグラフにしてみると、80年台後半からこれまでとは異なる上昇トレンドが生じているが(『公募ガイド』はこの時期1988年に創刊した)、それとは段違いの〈新人賞爆発〉が2000年代から始まっている。 増えたのは新人賞の数だけではない。せいぜい1つか2つを選ぶだけだった新人賞に対して、ライトノベル系をはじめとして大量の受賞者を生む新人賞が続々登場した。〈新人賞爆発〉の
「醜形恐怖」という言葉が19世紀にこの病気について初めて発表したイタリア人医師の名付けた原語を日本語訳したものとして作られ、長らくこの用語が日本では一般的であった。しかし近年、患者が顔だけではなく身体全体を気にしだしたため「身体醜形障害」と呼ばれることも多くなった。 1995年に発表されたアメリカの調査によると、有病率は1%であるとされているが、患者は自身の身体醜形障害を医師にも言わない傾向が多いため、実際にはより多数の患者がいるのではないかと推測されている。 日本では1990年後半から多くなりだした。この内2割は引きこもりのような状況になるとされる[要出典]。整形をする人も多いが、思い込みであることが多いため満足な結果が得られることは少なく、結果的に逆に顔を崩してしまうことさえある。この障害を持つ場合には、1日に何時間も自身の肉体的な欠陥について考えるようになり、極端に社会から孤立してし
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