82年前のきょう、五・一五事件で青年将校の凶弾に倒れた岡山市出身の犬養毅元首相(1855~1932年)が、その10日前、天皇親政の国家を目指す軍部の動きに対して懸念を示していたことが、倉敷市内の宮司に宛てた直筆の書簡から分かった。政党政治が求心力を弱める中、軍国主義へと進む動きに「甚(はなはだ)心配」と心情を語っている。 書簡は衆院選で犬養が所属する立憲政友会の党勢拡大に尽力した木華佐久耶比〓(このはなさくやひめ)神社(同市福江)の故三宅光信宮司宛て。同神社社務所で保管されていたのを、日本近現代史に詳しい太田健一・山陽学園大名誉教授が確認した。 犬養は文中、選挙の礼を述べた上で、在郷軍人らが天皇主権や軍備の充実を掲げ、大衆との結び付きを強めようと結成を企てていた政治結社・皇道会について言及。「旧式ニ偏して自由の研究を妨る傾向」を指摘した上で「實ハ甚心配」と心境を吐露。国家の真価は皇道会が目