ブックマーク / equilibrista.hatenablog.com (9)

  • 仮想通貨の投資リターンは、誰が払っているのか - 投資の消費性について

    仮想通貨の長期リターンは、1桁台前半とみている世界の実質生産の伸びに等しい(もしくは若干下回る)というのがわれわれの前提だ ゴールドマン:仮想通貨はマネーの一形態として成功も-途上国なら - Bloomberg このゴールドマンの見方がトンチンカン甚だしいと思うのは、常々指摘している*1ように、残念ながら仮想通貨を持っていても、金利を受け取ることはない。理由はシンプルで、金利を払う者がいないからだ。では、あるいは有価証券の投資リターンは、誰が払っているのか。もちろん、主として資金を調達する発行体である。配当であれ返済であれ、結局のところ同じことだが、100円を返す(だろう)約束は、それが未来であって不確実であることを考慮され、100円未満しか引っ張ってくることはできない。言い換えれば、リスクに対する見返りは、リスクを渡す側が払う。宇宙の法則である。 だとすれば、ビットコインのリターンは何に

    仮想通貨の投資リターンは、誰が払っているのか - 投資の消費性について
  • 名目GDP水準目標のカモり方 - 投資の消費性について

    GDP600兆円の達成を、明確な目標として掲げたいと思います。 そのために、雇用を更に増やし、給料を更に上げて、消費を拡大してまいります。 安倍晋三総裁記者会見(両院議員総会後) | 総裁記者会見 | 記者会見 | ニュース | 自由民主党 「こんなの当のNGDPLTじゃない」とか最初から逃げてる奴が現れるほど、説得力にも具体性にも欠ける首相の演説には驚くばかりだが、もちろんインフレ目標はロクな結果を生み出していない*1わけで、具体性はともかく説得力など最初から持ちようがなかった。名目GDPの水準を目標に置くプログラム自体は、結構なセンセイ方もプッシュしていて*2笑ってしまうのだが、彼らによれば、政府や中銀が正面から立ち向かうべきは名目GDPの水準である。理由は要するに、そう定義したからだ。 投資だろうが消費だろうが、価格を決めるのは需要と供給であって、それらの総和だろうが、いずれにせよ

    名目GDP水準目標のカモり方 - 投資の消費性について
  • 自社株買い及び自国通貨買い介入の定理 - 投資の消費性について

    簡単のために、負債はなく、現金だけ持っている会社について考えよう。特に価値のない商売のみ、他に抱えていると思っていただいても差し支えない。もちろん、そんな仕事で給料が取れるはずもないが、この点について後で拡張することは容易である。 現金 10,000円株式 100株 このバランスシートには見えない、さまざまな要因を小さなものと考えるとき、おおよそ株価としては 10,000円 / 100株 = 100円 を目安にしたくなる。一方で、何らかの感情的な理由で市場には売り注文が殺到し、90円で取引されていたとしよう。そのとき僕が経営者なら、自社株買いを発動したくなる。思い切って発行済株式数の半分を買ってしまえ。えい。 現金 5,500円株式 50株 どうだろうか。先の目安は 5,500円 / 50株 = 110円 に変化した。つまり一株あたり純資産は増加している。自社株買いが、ある意味で「利益」を

    自社株買い及び自国通貨買い介入の定理 - 投資の消費性について
  • 「コミットメント」 - 投資の消費性について

    600億円というのは実に驚く金額だが、ソフトバンク孫さんの後継者だそうだが、自社株を買うと昨日報道があった。正直ピンと来ない大きさだが、さほど興味があるわけでもないのだが、最近あまり書いていないのでリハビリです。さらっと。 ソフトバンクのアローラ副社長、自社株600億円を個人購入 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL19HBH_Z10C15A8000000/ アローラ氏の株式購入資金の出どころについてソフトバンクは「個人のプライバシーにかかわること」として明らかにしていない。 コツコツ郵便貯金から軽く出てくるサイズとも思えないので、いろいろ事情はあるのだろうが、今日のポイントはここじゃない。経営者が自社株を買うことは、「コミットメント」を示すものとして歓迎されるそうだが、そんなに望ましいことだろうか。 経営がうまくいけば株価も上がるだろうから、その分

    「コミットメント」 - 投資の消費性について
  • 「損切り」するな - 投資の消費性について

    「損切り」と呼ばれる投資行動は、僕にはまったく理解できない。理解できないばかりか、もっといえば嫌いだ。というか普通に損だと思うよ、それ。ここでいう「損切り」とは、自分のとっている何らかのポジションに、一定以上の評価損が出たとき、それを手仕舞うことである。皆がこれをすることによって、何が起きるかを考えてみよう。 例えば、僕がWTI原油先物を買っているとする。仮に60ドルのときに買いを入れたとしよう。それが40ドルまで、つまり20ドルも下がってしまった。33%の下落だ。 (40-60) / 60 = -33% もちろん買った時点では、上がるだろうと思っていたわけだが、あらかじめ「値段が2/3になっちゃったら、素直に負けを認めて損切りする」と決めていたので、ここで損失を「確定」することにする。被害がこれ以上拡大することを防ぐためだ。ん?ほら、こうやって例を書いただけで矛盾が出てきた。被害が拡大す

    「損切り」するな - 投資の消費性について
  • パススルー議決権行使 - 投資の消費性について

    そもそも機関投資家なんてのは、生きている人間じゃない。機能を持った箱に過ぎない。そして株主としてのアクションが、その主たる機能でない場合は少なくない。 我々の経済が、何をつくり出していこうとするのか、そのためにどんな投資をするのか。決めていくのは当然のことながら、消費者としての我々と、資家としての我々である。然るに毎日を消費するわけでもなく、また明日に何かを望むわけでもない機関投資家が、株主として強い存在感を発揮するのは、よく考えてみると非常に奇妙な話だ。 機関投資家が巨額を動かす背景には、その機能の向こう側に、カネを預けている無数の生きている人間がいる。投資のリスクを負担しているのは、第一に彼らである。保険や年金の運用が失敗するとき、そうした最終投資家の取り分が減るわけだ。これだけの額を扱うのに、機関投資家の担当者ごときが、損失の責任など取れるはずもない。 実際にリスクを負担する者が、

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  • ゴックスを円天に例えるのは、ちっともおかしくない - 投資の消費性について

    「円天とは違いますよね」「わかってますわかってます」 ここ数日ビットコインについて、いくつか取材を受けた中での雑感なのだが、概して皆さんよく勉強されている。しかしいくら詰め込んだところで、肌で感じることは簡単でないこともあり、どうしても物言いは雪降った道を歩くように慎重だ。特に円天には絶対に例えちゃいけないと、誰かに怒られたのか知らないが、考えているようでもあるのだが、しかし一方で、マウントゴックスを円天に例えることは、さほどおかしいとも思われない。簡単にメモしておきたい。 顛末を乱暴に要約するなら、取引所を自称するゴックスが顧客から預かっていたビットコインが、どうやらハックされ失われたようだと伝えられており、実際に引き出すことは不可能な状況*1である。その信憑性は不明だが、リークされた文書*2によれば、下記のように極端な債務超過に陥っている。 2,000BTC744,408BTC742,

    ゴックスを円天に例えるのは、ちっともおかしくない - 投資の消費性について
  • なぜビットコインは乱高下するのか - 投資の消費性について

    買い需要で価格が上昇するとき、ビットコイン「マイニング」が促される構造?焼け石に水とは、まさに直近の状況を形容している。端的に言って、ビットコインには「ファンダメンタルズ」が存在していない。それ、円やドルにはあるのかって?毎日バランスシートが公開されているじゃないか。 日銀券を発行して、とりあえず買った国債は、ちゃんと保全されている。新たに紙幣が需要されればホイと発行して、その分だけ国債を買ってくる。もちろん国債は特に珍しいものでも、独自の用途があるわけでもない。単なる「安全な貸し」だ。 金位制では、紙幣はゴールドの引換券だった。取引や貯蓄だけでなく、その宝飾品あるいは工業用としての需要も含めて、また採掘される供給も含めて、時々刻々と価値は変動する。が、極端に欲されたり、また投げ売りされることは多くない。 ビットコインが発行されるとき、新たに暗号のようなものを「掘ってくる」という。最近で

    なぜビットコインは乱高下するのか - 投資の消費性について
  • 統計解析のはなし - 投資の消費性について

    統計はビッグだとか、データが最強だとか、なんだかハッタリ染みた見出しを最近よく見かけるのだが、もちろん読んでもいないのに批判するつもりなど毛頭ないのだが、道具の手触りを伴わない「らしいよ」情報は一般に、なんだかスゴいらしいよとか、これからは必須らしいよとか、要するに飲み屋でジョッキを片手に展開する他に、これといって出しどころがない。 じゃ実際に道具を使ってみようと、5分でわかるエクセル統計みたいなを手に取れば、セルの羅列まで各ページに印刷してあって、やってみれば出来そうなものの、「面倒」と「だから何」のポリリズムが次々と襲ってくる。じゃ硬派な教科書をと、恐る恐る覗いてみれば、こんどは学生時代にあれほど忌み嫌った、クールな数式と演習問題のオンパレードで、頭痛の痛さといったら夢に出てくるレベルである。 統計も、辺境とはいえ数学の一部であって、学ぶための書籍を構成しようとすれば、大きく二種類に

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