ブックマーク / kinakonan.com (5)

  • PUNPEEのフジロック 2017 レポート!(動画あり)

    行ってきました、フジロック。初めての参加はpunpeeのため! ということで、今回はきなこなんによる、punpeeのFUJI ROCK FESTIVAL 2017 レポートをお届けします。 とにかく初めてのフジロック参加ということで、予習はしてても距離感が分からない。 フジロックのチケットと一緒に駐車場券も買ったけど、指定された神立駐車場に12時についたら、そこからシャトルバスで会場へ。 ここがけっこう渋滞して45分もかかった。PUNPEEのステージは13時から。ギリギリだ。それでも入口の物販でCD-Rを買う(あと3枚だった)。会場からホワイトステージまで20分以上かかり、辿り着いた時には13時10分。3曲目ぐらいだった。 歩きながら聞いた感じだと、リンゴ音楽祭と同じCOMMON(コモン)のbeから入って、「お隣さんより凡人」の聞いたこと無いトラックのもので自己紹介を兼ねてラップ、そのほか

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  • 日本ヒップホップ史上最高のラッパー・TOKONA-X(トコナX)の生涯とは?

    ヒップホップ史上最高のラッパー・TOKONA-X(トコナX)の生涯とは? 2016-12-09 ヒップホップ, 人物もの ラッパーヒストリー トコナXが死んだみたいだ、という情報を聞いたのは2004年のことだった。 その死因について「売人からやばいものを掴まされたらしい」という、いかにもトコナらしい情報が飛び交う。 その後、所属事務所から「熱中症に伴う体力低下による心停止」という発表があった。 まだ26歳。デフジャムと契約し、まさにこれからの時だった――。 「どこかでお前の不在を引きずる」 2016年にブルーハーブのボスが、トコナXのトラックに乗せてラップした言葉が、ヒップホップを愛する人たちの総意だと思う。ヒップホップリスナーはいまだにトコナの喪失を引きずっている。 日のヒップホップ界を背負って立つ男だった。現時点(2016年現在)で、日史上最高のラッパーは彼だと思う。 最高とは

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  • DEV LARGE(デブラージ)のブログ、インスタに登場したお店38軒をリストアップしてみた

    DEV LARGE(デブラージ)のブログ、インスタに登場したお店38軒をリストアップしてみた 2016-06-24 ヒップホップ, 美味しいべ物・お店, 音楽 Hiphop, お店 僕のエバーノートには大好きなタモさんが出没するお店がリストアップされている。でもそれは公表することはない。タモさんがいまも行っているのに、伝えるのは迷惑がかかるからだ。 同じようにデブラージの行っていたお店のリストも作っていたが、こちらについてはすでに故人となった以上、人が今も行くから、ということはなくなった。 それよりも逆に高田渡が好きだった店として吉祥寺の「いせや」に行く人が出るように、デブラージが好きだった店として足を運びたいと思うファンが出てくるかもしれない。 前回書いた「普通じゃない並み外れた男DevLarge(デブラージ)の生涯を2万字でたどる」でデブラージのファンがいかに多く、熱いかということ

    DEV LARGE(デブラージ)のブログ、インスタに登場したお店38軒をリストアップしてみた
  • DevLarge(デブラージの生涯を2万字でたどる

    ここ数年でもっともショックだったニュースは、ブッダブランドのデブラージが45歳の若さで亡くなったことだった。 デブラージという名前は、日のヒップホップを愛する人にとって特別な響きをもつ。 その存在、影響力の大きさは絶大だった。 デブラージは、雑誌の連載やインタビュー記事、ツイッター、ブログなどで饒舌に発信しているが、その全体像というのは、意外とつかみ切れていない。 そこで今回は、人が語ったこと、書いたこと、また周囲の方々のインタビュー記事などをもとにデブラージの生涯をまとめてみた。 ちなみに僕がデブラージを生で見たのは、漢のファーストアルバムのリリースパーティーで「毒立毒歩」のラップしている姿を見た一回だけである。 ステージの奥でひっそりと出番を待ちながら、自分の順番が来たら120%を出す。さんぴんの映像と同じデブラージの姿がそこにはあった。 とはいえ、僕よりもっと多くのライブを見てい

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  • 「毎年4、5人は死んだよ」小金井桜の戦前の花見を知る人物が衝撃の告白!

    かつて東京の花見スポットといえば、上野ではなく、王子の飛鳥山と小金井桜(こがねいざくら)だった。 飛鳥山は今も名所として知られているが、小金井桜の方の知名度はさっぱりである。 それもそのはずで、現在は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。 しかし、かつて玉川上水に2000が植えられたという見事な桜は、歌川広重の浮世絵にも描かれ、明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であった。 最寄りの駅は中央線の吉祥寺から少し進んだ「武蔵小金井」になり、最盛期には臨時駅ができるほどの大変な賑わいだったという。 僕はたまたま玉川上水沿いの釣り堀であった84歳のおじいちゃんと話していたら、「当時はすごかったよ~毎年4、5人は死んだよ」という。 どういうことだろう、詳しく話を聞いてみることにした。 命がけだった昭和の花見 -小金井桜って昔は有名だったんですよね 「そうだよ。私が小

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