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2014年12月15日のブックマーク (2件)

  • 努力と才能の話

    「結局は才能。」 もちろん、最終的に才能が結果に繋がるのは正しいと思うのだが、いつもモヤモヤさせられる。 努力とは何だろう。 それに近い感情を持った1つの記憶がある。 小学校の低学年、僕は自転車が好きで、広がった世界に興奮して、よく遠出をしていた。 当然、ある日迷子になった。線路沿いの道が工事にはばかられ、勘に頼ったせい。 夕暮れが終わり闇に気付くと泣きだした。 いつもならすぐ親が駆けつけくれるのだが、それはない。 泣いたら誰かの助けが必要だと自覚することになる。誰もいない今、それは絶望を認めるとの同じ。 迷ったと気付いた時から、その理性によって辛うじて耐えていたのに、夜の闇はそれを簡単に破った。 僕は恐怖に負けた。負けを認めて諦めて心が折れた。絶望した。 ただ願うしかなかった。助けてと。 そんな風に振り絞ってだした願いでも、何も変わらなかった。 泣くのをやめてしまえば、願いさえ否定される

    努力と才能の話
    yoyosoin
    yoyosoin 2014/12/15
  • 職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。

    なないおさんの先日のエントリ お子さんがもしかして発達障害かもという不安からこのブログに来て下さる方々へ - うちの子流~発達障害と生きる を拝見して、読後の感想をTwitterであれこれ呟いておりました。 それについては後日またこちらにまとめてもいいのかなと思っているのですが、つまるところ「自尊心」「自尊感情」のことをつれつれと書いておりまして。 発達障害の有無や程度に関わらず、子どもたちの自尊心を保つよう底上げできるよう育てること、それを意識すること、その大事さについて自戒を込めてツイートしました。 そこから自尊心の事をあれこれ考えていたときに、ふと思い出した自分の過去の謎が自分の中で繋がったので書いてみたいと思います。 それは、自分が家庭や学校、職場で何かをきつく叱られたときに泣いてしまっていたこと。 情けない話だと思うのですが、かなり最近まで私は自分のしたミスについて責められた時に

    職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。
    yoyosoin
    yoyosoin 2014/12/15