「「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050618/p1 にいただいたコメントで、 逆に聞きたいのですが、「勉強が好き」「勉強さえできれば」でよかった時代というのは、いつぐらいの時代でしょうか?学生時代はともかく、社会に出ても「勉強が好き」「勉強さえできれば」だけで通用する時代があったとは思えませんけど……。 というのがあった。このコメント欄筆者morichuさんの感覚の方が正しいのだけれど、これまでの日本では、大雑把に言えば「通用していたんだ」と思う。むろんあくまでも、「野球がうまい」「将棋が強い」「音楽が好き」で飯が食えるか、ということとの比較ではあるのだけれど。 コメント欄でこう返答したのだが、 これまでは、官公庁の世界でも技術開発の世界でもビジネスの世界でもメディアの世界でも、特に大組織の中に
世の中には学級日記なるものがある。学校での出来事、家族のこと、先生に言いたい事を日記に書いて提出し、先生にコメントをつけて返してもらうというやつである。僕も小学生のころやらされていた。 ある日、僕はある学校行事のことを書いた。何の行事だったかは忘れた。学校の行事というのは建前としては生徒が主体的に取り組むものであるということが強調される。しかし実際には学校側によって強制的に参加させられる代物でしかない。矛盾した状況である。*1 僕は日記にそうした矛盾に対する違和感を正直に書いて先生に提出した。翌日、僕は先生に呼び出され、おまえは強制されるのが嫌なのかと叱責された。思い返してみるに当時の担任は生徒に対する指導力に欠けた人で、欠けた部分を厳しい言動とエキセントリックな感情の発露で補っていた。そのため他の先生のようにそうした矛盾を悪く言えば柔らかく誤魔化すことができなかったのだろう。ある意味正直
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