20240914:ナタデココ・アオリイカ 朝は病院。整理券をもらって開院までの間、喫茶店で待つことにした。カフェインレスのミルク珈琲の無糖を注文すると、会計の後にっこり笑顔で「シロップはお付けしますか?」と聞かれた。0.2秒の逡巡ののち、「つけてください」と答えてしまった。わざわざ無糖を頼んだ…
帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) 妻の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…
あるブロガーがどのような宗教に過去帰依していたのかということは、本人が積極的にそれを開示しているのでなければ、周囲がとやかく言うべきものではありません。特に、その宗教に帰依していたということが社会的にネガティブに評価されやすい場合はなおさらです。まして、そのブロガーとしての活躍にけちをつけるために、そのブロガーが過去に帰依していた宗教を明らかにするというのは、最低の行いといえます。 そういう意味では、ある宗教に過去帰依していた者に対して、社会復帰のためのハードルを勝手に高く設定し、そのハードルを満たさない者の過去を暴き立てる滝本太郎弁護士のやっていることは大いに非難されるべきことだと言えます。彼のような存在は、その宗教の信者がその宗教団体を離れて自立して生きていくことを妨げ、過去にその宗教の信者だった者を再びその宗教団体に戻らざるを得ないところに追いつめる役にしか立たないことでしょう。 結
⇒■一連の疑惑について 07:13 ・ 過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。 これ以上騒ぎが広がらない時点で公表されてよかったと思う。 一般論として旧オウム信者が「旧団体代表への信仰心は現在ありません。」というとき、それをどう社会が受け止めていくのかは難しい。それは思想信条が裁かれるという意味ではない。過去に為したことをその主体が現在がどう受け止めていくか、それを社会はどう受け止めるか。後者は我々の課題。旧オウム信者が差別されている現状もその課題に含まれるという意味。 ⇒GripBlog 〜私がみた事実〜 : オウムとは無関係です 民主党の懇談会に参加した時のことを振り返っても、雑誌に取り上げられたような問題があったとは思えないし、大切なのは今だと考えていますので、松永さんとは、これからも変わりなくお付き合いさせていただくつもりでいます。それは、仮に過去オウムとの繋
■[▲]一連の疑惑について 07:13 (この記事へのリンクURLはhttp://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313#1142201603です) 現時点では、この件について興味のある方にしかわからない書き方であることをお許しください。すべてをきちんと出さなければ納得していただけないであろうことはわかっておりますが、周辺状況もあって、今はこれでお許しください。すみません。 過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。 現在、私は団体に所属していません。そこから飛び出したという表現がしっくりくるかと思います。 旧団体代表への信仰心は現在ありません。その状態で団体にとどまる意味はないと考えたのが、飛び出した動機でもあります。 旧団体代表の判決については、世の中の大多数の方が思っているとおりの判決になると思っています。それを覆す気はなく、司法の決定
Captcha security check surusuru.com is for sale Please prove you're not a robot View Price Processing
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く