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ブックマーク / blog.tinect.jp (3)

  • 職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。

    職場内で流通する機関誌みたいなものがある。 毎月、偉い人が「激動の時代を生きるために」などと、コピペしてきたのかな?と感じるほどに定型的な有難い言葉を長々と連ね、「最近将棋始めました」で締める訳の分からない文章が巻頭に掲載されている。 その次に、やや偉い人が似たような言葉で叱咤激励し、犬を飼いはじめたことをカミングアウトして締める文章が続く、そんな大変に有意義な冊子だ。 その中の1コーナーに「わたしのコンソメスープ」というコラムコーナーがある。 正直に言ってしまうと僕はこのコーナーの意義が全く分からなかった。端的に言うとなぜそこにあるのか全く分からない。意味不明だとすら思っていた。 そこに存在するだけで僕の精神を蝕んでいくような、ただのコラムとは思えないほど恐ろしくも禍々しい「何か」、それがこのコラムにあったのだ。 (Boris Wong) 毎回、様々な社員が登場し、コンソメスープのある風

    職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。
    yuki_0426
    yuki_0426 2019/12/17
  • 「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

    よく、「日人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。 そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。 だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。 反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。 わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。 「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日人は議論ができない」と言われる原因のひとつで

    「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
  • 新人を育てる時に「自主性」を考慮するのは、百害あって一利なし。

    どうもしんざきです。 皆さん五月病ですか?私くらいの五月病ベテランになると、4月初週くらいにはもう五月病になりますし、一年の三分の二くらいは五月病のままで過ごしています。たゆまぬ五月病を続ける精神力が重要です。 それはそうと。 新入社員の研修にかかわったことは何度かあります。 オリエンテーションに何回か顔を出しただけのこともあれば、研修コースの策定に口を出したことも、割とがっつり研修の講師側に参加したことも一応あります。 新入社員のグループワークに人狼ゲームを導入しようと提案して却下されたこともあります。面白いと思ったんですけどね、新人研修で人狼ゲーム。 そういった中で、意見が分かれることが多かったのが、「新入社員の自主性」問題です。 極端に言っちゃうと、私、新人を育てる時に「自主性」を考慮する必要なんて一切ないんじゃないの、と思ってる派閥なんですよ。いや、自主性を考慮するだけなら別にいい

    新人を育てる時に「自主性」を考慮するのは、百害あって一利なし。
    yuki_0426
    yuki_0426 2017/05/19
    「自分で考えろ」って言う方はラクだし、その後に来る「あいつ使えない」までがワンセット。
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