2017年8月16日のブックマーク (1件)

  • 文集は捏造、撮影前に目薬… 「誉れの子」いまの思いは:朝日新聞デジタル

    兵の父親が戦死したことで「誉れの子」と呼ばれた子どもたちがいた。全国各地で選抜され、東京・九段の靖国神社に参拝。「父との対面」は美談に仕立てられ、戦意高揚に利用された。戦後72年。普通に悲しむことを許されなかった遺児たちはいま、何を思うのか。(木村司、岩崎生之助) ◇ 丸刈り頭の少年が、口を一文字に結んでいる。ほおには一筋の「涙」が光る。 写真の少年は、小学5年の八巻春夫君。1938年、父が中国で戦死した。 父が祀(まつ)られた靖国神社参拝のため41年3月、日兵の遺児代表として上京。皇后陛下から菓子を受け取った。その瞬間をとらえた写真は、内閣の情報局が発行した国策グラフ誌「写真週報」の表紙を飾り、「誉れの子」の象徴的存在になった。 それから70年余り。少年は87歳になり、山梨県南アルプス市で暮らしている。 「お菓子をもらったときはなんとも言われない、感無量で、当に涙が出ました。でも

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